激励じゃなくて「叱咤」
ギーターの読書会があり、久しぶりに参加しました。
*この上村さんは学者さんだから訳の言葉が硬いです。文章もブツブツ途切れて・・
気になる一節を取り出して、事前にどうしてそれを選んだかをメールで送っておきました。
精神的にギャフンということがあり、そのときにギーターを読んでも気持ちが落ち着かなかったと言うことを書きました。
今までギーターは、私の弱さも受け入れてくれてそれでも上に向かって行くにはどうしたらいいかを教えてくれる存在でした。
でも、自分への肯定感がなくなっているときに読むと、それが励ましではなくて「叱咤」のように感じてしまいます。
読書会でそんなような話をして、感じたこと、思いついたこと、考えたことがあります。
感じたこと
私はインド哲学を学んでいると言い、本を読んだりしているけど、知識が身になっていないのはどうしてかしら?
都合のいいフレーズを利用しているだけのような気さえします。
たとえば、ある行動をとるとき、ラジャス的かタマス的かなんて考えたことありませんでした。
あなたのその行動はどんな風でしたかと聞かれて、答えられませんでした。
いつまでたっても、「プルシャ」ってなあに?「アートマ」ってなあに?
思いついたこと
大きく心を揺さぶられたときは、それまで平穏を装っていた心をかき混ぜられたようです。
思いがけないことが現れて、いつまでもその渦の動きがやみません。
底から出てくるのは?
見ないふりをしていたこと、気がつかないですんでいたことが顕現するのです。
それは、次につながります。
考えたこと
自分の頭で考えることをあきらめない。
自分の立場だけでなく、相手の立場に立ってみたりして客観的に考えることです。
感情だけに流されたり、それに浸ってしまったりするのは「楽」です。
考えることは、自分に向かい合うことでもあり厳しいです。
その厳しさもあるのが、インド哲学でありヨガです。
ヨガさえやっていれば、ヨガセンターに通ってさえいればなんとかなると思っていたら、それは間違いです。
自分の頭で考え、判断し、行動する。
道のりは続きます。
神の詩―バガヴァッド・ギーター (TAO LAB BOOKS)
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*この田中さんの訳だと、日本語がなめらかで心にビンビン響きます。
*読書会の会場「世田谷ものづくり学校」の玄関前のお花