70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

『生き方としてのヨガ』 龍村修 著 第1章から第4章

龍村氏について

数年前に国際総合ヨガの合宿でお目にかかったことがあります。

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hoymin.hatenablog.com

 

断捨離のやましたひでこさんの追っかけでヨガの合宿まで参加したときです。

思えば、そこからヨガとのご縁ができ、細々と続けてきて今に至ります。

 

龍村先生にもその時お会いしました。

沖先生の一番弟子で、多方面で活躍されています。

(沖ヨガの本が家にあって、小学生の時に読んでいました!)

 

この本は、とても読み応えがありメモをたくさん取りました。

 

時間をかけて自分の中に取り入れたいと思いますが、今回はその一部を引用します。

 

第一章 ホリスティック医療とヨガ

まず、ホリスティックの意味について

つまり、ホリスティックとは、人間存在をからだ、こころ、氣、精神性。霊生、 などの有機的統合体と捉え、 社会・自然・宇宙との調和に基づく包括的全体的な観点から、健康、医療、教育などの問題を捉え直そうとする見方なのです。

ヨガは人間を全体的・総合的にとらえる哲学があり、全身を整える方法も持っています。

つまり、ヨガはホリスティックなもので、正しく行えばだれがやってもある程度の健康的な効果が期待できるものです。 

 

ヨガは心の修養、からだの修行、生活の修行を通じて、人間としてより良い生活をするための心身生活の鍛錬法を段階的に説いたものです

 なるほど、なるほど。

段階的に進めばいいんです。

やましたさんは「らせん階段のように」という言い方でした。

 

 うちこさんとのインド哲学の勉強でも、梵我一如をうまく説明できなかったのですが、わかりやすい解説がありました。

個体の外にあって個体を生かす力を「ブラフマン」と呼び個体の内なる生かす力を「アートマン」と呼んでいます 。この二つは本来別のものではなく同じ働きの異なった現れ方だとしています 。ブラフマンは簡単に言えば宇宙法則自然法則ですが、日本ではこれを「梵」と訳し アートマンを「真我・魂」と訳しています 。そしてこのブラフマンアートマンが一体化して本来の姿になること、すなわち梵我一如こそ、わたくしたちが生まれてきた目的であり、幸福であるとしています

これは悟りの境地に関することで、普段はなかなかこういう境地にはいきません。

が目指すものです。

 

第二章 洗心と瞑想の生活

ヨガの精神的な面について書いてあります。

 

洗心とは、心を清め感謝の気持ちを持つことだそうです。

そのために下座行と奉仕行をすべきだと書いてあります。

 

自らを下に置き、奉仕(対価を求めず)するのです。

 

う~ん。

清い心・・・すぐ汚くなってしまう心との戦いになります。

 

瞑想については 

 以前うちこさんも書いていたのですが、

「瞑想」と「冥想」の使い分けをしています。

夏目漱石も使い分けていました。

一般にはよく「瞑想」と書かれますが 私はあえて「冥想」の字を使用して 瞑想でよく説明される大脳の安定法、α波の誘導法などの技術と、釈尊がされたような生活全体を瞑想法とした「冥想」と分けています 「冥」の字が計り知れないほど広くて深いという意味を持つように 、冥想とは狭い感じ方や肉体的に囚われた考え方固定観念や無意識の偏見から離れて、 生活全般のあらゆる角度から、とらわれ・はからい・こだわりを浄化する生活法と解釈しています

 

 毎日10分でも冥想して心を観察すれば、心の霊的な進化が始まり健康になるそうです。

 

第三章  呼吸法と氣と プラナ

ヨガのポーズと言われるものは、 やりにくい姿勢や動作をして、その形を保ちながら深呼吸と意識集中を続ける 。・・・・ そうした方法によって初めて滞っていた氣が動き始め、うっ血していた血液が流れ出し、真の意味で血行が良くなるからです 。

確かに、一方の足を横にしたのに体は正面のままとか、無理な姿勢です。

今までアサナについて疑問がありました。

理にかなっていない、不自然な体型をなぜするのかしらと不思議に思っていました。

この文章を読んで納得できました。

 

 食欲のコントロールの呼吸法は、この 体を反らせて息をゆったり履く、連続呼吸を意識的に行ってみるのです。すると食欲が不思議とスーッと落ちてきて「もういい」となってくるのです。

これは試してみましょう。

欲求の呼吸を満足の呼吸に変える方法です。

 

欲しがるときは、そのものに対して前かがみで、眼は対象に吸い付いて、呼吸は止めていたり、吸う息が強くなっています。

コントロールするために、反対の行動をとるのです。

 

呼吸を変えることで、こころも変えてしまいます。

 

 限界を広げる呼吸法についても

からだを伸ばそうとする時に意識的にゆっくり吐く息で行い、 痛みを感じたらいったんそこで止めて、それ以上無理はせず 、深呼吸しながら、 顔を笑顔にして 、少しずつ伸ばす練習をします。すると痛感のレベルが下がってきて、もう少し伸ばすことができます。

アサナをしていて、もう無理だと思った時、これを思い出せるといいのですが。 

ウッティタ・パールシュヴァコーナアサナのときに試してみましょう。

笑顔にするってところが新発見です。

ヨガセンターでは、「顔・のど柔らかく」って言い方です。

 

無理をしてはなりませんが、痛快という「快感」を味わえる能力を育てないと、自己の本来もっている能力はどんどん制限され、不自由になっていることに気づかなくなってきます。からだを普段使わない方向へ深呼吸しながら使うことが、「体の手入れ」になり、老廃物を流すことになるのです。

お風呂とかで汗を流すとデトックスとはよく言われますが、アサナもからだのデトックスなんですね。

汗が出るとか便秘をしないとかの目に見えることだけでなく、からだの中でも血流・リンパ液などを動かし、なにかのメッセージ物質とかホルモンとか、たくさんが動いて、からだを整えてくれているのでしょう。 

 

うちこさんはよく、「火で燃やしてしまう」という言い方をします。

からだのなかの悪いものを、燃やしてなくしてしまうのです。

 

普段の生活では悪いものがたまりがちだから、なくす(=デトックス)ことを意識的にする必要があるのです。

 

そのために毎日ヨガの修行です。

 

呼吸プラナも見えないけど、ヨガの修練で感じることができるものです。

 

第四章丹田力と仏性力 

第五章自分らしく生きる 

は別記事にします。