70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

たくさんの目 インストラクション

朝一番に寝てみる

ヨガマットにブランケットで枕を作り、仰向けに寝ます。


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前日練習した、仰向けのターダアサナ。

 

それからひざを曲げていったり、足を垂直にあげたりのアサナを続けます。

名前はよくわかりません。

スプタ・パーダーングシュタアサナ(たぶん)で両足をベルトを使って垂直に上げます。

 

インストラクションが頭に響く

アサナをしていると、ヨガセンターの指導員のインストラクションがよみがえってきます。

・足裏は広がっているか

・かかとの内側を伸ばしているか

・親指は揃っているか

・ひざは伸びているか

・かかとの内側・ひざの内側・会陰・おへそとつながっているか 

・ふとももはしっかり床を押しているか

などなど・・・・

 

それらがかなり体に染みついてきて、身体のいろいろなところに意識を向けます。

 

目がたくさん

たくさんの場所に意識を向けなくちゃなぁと思っていたとき、ふと気がつきました。

これがたくさんの目を持つってことなんだと。

よく指導員の先生や純子先生が、おっしゃっていることです。

「足の先にも、手の先にも、ひざにもひじにも、そこに目があるかのように見なさい。」

練習中のたくさんのインストラクションは、たくさんの目を持つための指導なのです。

 

わたしも目がたくさんになってきたようでうれしくなりました。

 

修行は続きます。

 

 

 

 

 

リンゴのお菓子

紅玉で秋を感じる

秋の味覚がいろいろ出てきます。

栗は食べるのが面倒で買わないのですが、紅玉リンゴは大好きで待ちかねて生協で購入します。

今回はいつも参考にさせて頂いているこのブログのケーキをよく作っています。

inakasyuhu.hatenablog.com

バターなしでもおいしい

小林かつよさんのレシピだそうですが、

inakasyuhu.hatenablog.com

簡単でとてもおいしいです。我が家の場合を記録しておきます。

 

ホウロウ容器2個にオーブンシートを敷きます。

我が家は無印のホウロウ容器です。

底辺の大きさに折り目を付けてから、四隅に切り込みを入れて入れ込みます。


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・紅玉  3個

皮をむいて四つわりにして1㎝に刻む
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・レーズン 大さじ2をラム酒につけておく


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粉類をはかりに載せた容器にポリ袋を入れ、順番に入れていきます。

・小麦粉  200g

重曹   小さじ1.5

・塩    ひとつまみ

・シナモン 小さじ2

ナツメグはなかったので省略です


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以上の粉物をポリ袋に入れて、空気を入れてふくらまし口をしっかり握って振り混ぜます。


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・卵  2個

・サラダオイル  カップ半分

・キビ砂糖  カップ1


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を大きなボールでよく混ぜ合わせ、そこにレーズンと紅玉も混ぜていきます。

粉類を2回に分けて入れてよく混ぜます。


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ホウロウの型に入れて、200度5分180度45分で焼き上げます。

型に入れる時、ヘラだけでなくシリコンスプーンも使うと便利。


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型から出して網の上でさました後、オーブンシートを取って2㎝位に切り分け、またホウロウ容器で保存します。


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ラム酒を使っていますが、幼稚園児でも大丈夫でした。

持ち寄りの1品として友人宅に持っていったりします。

 

ホットケーキミックスで簡単に

もっと簡単なリンゴケーキを同時に作りました。これは朝食用。

ホットケーキミックスでフライパンいっぱいに大きなホットケーキを作ります。

片面焼いているときに、リンゴの薄切りを並べ、私はちょっと砂糖を振りかけます。


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しっかり焼けてからひっくり返して、もう一面も焼きます。


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りんごの酸味がとてもおいしくて簡単にできるリンゴケーキです。


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余ったら、冷凍しておき自然解凍で頂きます。今日も余りませんでした❗

ついていくのではなく 私が学ぶ

ひざの状態 

わたしの足の筋肉が付き、ひざの調子も良くなってきました。

自重して控えていますが、走ったりジャンプしたりもできる気がします。

でも、スワスティカで足を組むとき左右差があります。右の膝を深く内側に曲げることが難しいです。

まだ他の人とは違うプロップスの使い方をしています。

 

ついていくのが大変

アサナによって使うプロップスが違うので、次のアサナに移るときに一度プロップス類を片付けてホールをきれいにします。

たくさんプロップスを使う私は、片づけるのに手間取ります。

又、自分仕様で使うために先生の指示とは違うものを予想して用意する必要があります。

練習のスピードについていくのが大変と思い、緊張します。

その時思いました。

ついていくのではないということです。

そのときのできる限りのことをすればいいのです。

 

人より遅れたり、できないことがあっても、それが私のペースです。

それも認めて、真剣に学ぼうと思います。

 

私が主体

先生の考えたシークエンスでアサナが進められていきますが、その指示通りに身を任せるのではありません。

最初はついていくのに精いっぱいでしたが、今は少し違ってきたように思います。

先生方にはその日の目的があり、それを意識するのはもちろんですが、自分なりの課題ももってアサナをするようになりました。

 

できなかったところが、この頃ちょっとできるようになのがうれしいのです。

ウッティタ・トゥリコーナアサナで後ろ足のかかとが押せるようになりました。

その押し具合がどの程度までできるか確かめるのが楽しみです。

 

ほかのアサナでも、後ろ足のかかとの押し具合を自分で確かめ、意識を届かせます。

 

自分で選ぶ

ひざをまげるアサナでは、どんなポロップスを使うかを自分でも選びます。

それまで先生に教えていただいた知識をもとに自分で考えて選びます。

身体の状態を知っているのは、私だけなのですから。

 

基本的なことがわかったきたら、そういう事も自信をもってできるようになりました。

間違っていたら、先生やアシスタントの方のアドバイスがいただけ、知識が深まります。

 

自分で判断する

ヨガのアサナで、自分で主体的に考えたり選ぶことを続けていくと、日常生活でも自分でものごとの判断する訓練になります。

人任せでない、自分軸を持った人間になる訓練です。

 

修行は続きます。

自分に出会う そして身も心も軽く

石材の中から出会う

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*映画の予告編からのスチール写真です

 

アイアンガーグルジの映画の予告編に、石材を刻んで仏像を彫り出す場面がありました。

熟練の石工が大きな石からノミをたたいて、インドの神様を作ります。

その過程がヨガと共通するというものです。

英語の字幕しかないのですが、意図するところはわかります。

 

自然をお手本に、自然(=五感以外の直観)から導かれて石材の中から神様が現れます。

 

アイアンガーグルジのヨガ指導も、あるべき人間の姿に近づくための修練です。

逆立ちの足をベルトや木の棒を使って矯正(?)している場面があります。

最後にグルジが

This is the legs.

と言います。あるべき位置に整った足の出来上がりなのでしょう。

 

木材の中から出会う

丁度NHKのインタビュー番組で日本の仏師明慶さんとロボット研究者&会社経営者がでていました。仏師も木材から掘り出して、人の魂を救う仏像を作り出します。

 

www4.nhk.or.jp

その中で印象的だったのは、木材から仏像を彫り出すとき、いらないところをそぎ落としていくという話です。

貪欲に求めていく前向き姿勢とは違う、内側(魂とか陰側)に導かれての制作だと感じました。

 

ヨガのアサナで出会う

お二人に比べるにはおこがましいばかりですが、わたしもヨガの修練で自分と出会います。

今の私にとっては、ヨガです。

今までの人生で、人や仕事など様々な出会いがありました。

その出会いで自分が作られたとしたら、大きな塊から自分が掘り出されて今の形になったとも考えられます。

ぼんやりとした塊から、シャープな自分が出来上がっていく過程ともいえます。

 

たくさんの物や雑多な情報がほしくてとりに行っても、ぶよぶよの塊が大きくなっていくだけというイメージです。

 

必要なものだけの、自分らしい姿、本来の姿、そこへ向かっていく道を歩みたいです。

 

それが、心も体も楽になる道です。

ヨガはその方法です。

 

修行は続きます。

 

 

 

涙は乾いて

涙ぐむ

涙を流した翌日もヨガセンターに行きました。

指導員の先生から優しく声をかけていただいて、今日はしっかり動きますと笑顔で答えました。また優等生ぶっていますね。

 

つけくわえて、でも心はまだざわざわしています、と正直に伝えました。

 

練習が始まってしばらくしたら、涙がにじんできます。

まだデトックスが足りないのかな、流れるままにしようかなって考えていました。

 

その時、自分のある気持ちに気がつきました。

 

1年たっても思うように身体が変わっていない、練習についていくことが大変だと思っていて、それが悲しいのかもしれないと。

 

こんなに身体を伸ばしたり曲げたり精いっぱいしている、それを誰もほめてはくれません。

自分でほめるしかないのですが、自分もほめてないから悲しいのです。

 

変わってきたところがあるのを、知ってはいるのです。

いくつもあります。

でも、できないところにどんどん気がついてしまう最近だからです。

hoymin.hatenablog.com

 

チャレンジ

純子先生の言葉を思い出しました。

「アイアンガーヨガはチャレンジです」

「ここではほめることはしません。自分のからだで気付いてほしいからです。」

このヨガセンターに通うということは、そういうことなのです。

 

「ヨガを続けることで、自分に出会うんです」という言葉も浮かんできました。

誰かにほめてもらわないと確信が持てない、そういう自分の弱さに今出会っているのです。

 

人にほめられなくても、自分で大丈夫と思える強さを持ちたいです。

 

人と比べない

涙ぐみながら、自分の心の持ちようをいろいろ考えました。

知らずしらず人と比べたり、他人を意識しているから辛いのだと気がつきました。

 

何のためにヨガセンターに来ているかの原点を思い出します。

誰かに認められたいからではありません。

自分のためです。

愚直でも、いつまでもひざが痛くてもいい。

できることをするしかないのです。

 

家で練習をしなかったり、食べ過ぎたりもあります。

年齢と経験の浅さも、変えることのできない私です。

 

だんだん涙が乾いて、今ヨガセンターに通えている幸せを感じるようになりました。

 

今ここで、深いヨガの哲学を学ぶ機会を得ていることは、滅多にないほどの僥倖なのだと。

 

自分と出会う

これからもヨガを学ぶことで、自分に出会う場面がたくさん出てくるでしょう。

どんどん新しい自分、それも醜い自分が出てくるかもしれないです。

苦しいかもしれないけど、楽しみたいです。

 

どんな時も、ヨガの哲学とかインド哲学の学びにその答えを探します。

 

自分に集中する

練習では、今まで以上に自分に集中することにしました。

昨日までと違う自分を感じるのです。

身体の中の変化も見逃さないように、身体のたくさんの箇所に開発中の「目」に意識をめぐらせます。

 

ウッティタ・トゥリコーナアサナのとき、後ろ足のかかとがちゃんとマットについています。

前足の付け根のところから曲げていくことを意識し、付け根の存在をポーズをとっている間ずっと感じていられます。

 

他の人が自分のことをどう思っているか、なんて考えている暇はありません。

自分をかわいそうに思い、感傷に浸っている暇もありません。

 

一つ階段を乗り越えたようで、気持ちがすっきりしました。

 

修行は続きます。

 

 

 

松浦弥太郎さんのラスク

松浦さんを見つけた

暮らしの手帖からクックパッドに移ったという松浦弥太郎さんを見つけました。

kurashi-no-kihon.com

 

クックパッドからも離れて新しいご自分のメディアを作ったようです。

 

松浦さんの著作が好きで、何冊か読みました。

ていねいな暮らしを提唱されています。

読むと心が静かになります。

これからも追いかけたいと思っています。

 

簡単でおいしそう

その中でラスクの作り方

kurashi-no-kihon.com

が載っていました。

 

今までも簡単にラスクを作っていましたが、これは上等なラスクが簡単にできそうです。

練乳はすぐ買えたのですが、バケットはおいしいものを使いたいと機会を待ちました。

 

作ってみました

成城石井(ヨガセンターの最寄駅の志木駅にある)でバケットを見つけて、早速作ってみました。


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簡単においしくできました。

ペーストの量が少なかったのか、甘すぎなくて上品な甘さです。

カリカリにできて、日持ちもするのでお土産にもできます。

歯の弱い高齢者にはちょっと無理かも知れないです。

 

おまけ

我が家のオーブンは一枚しかはいらないので、バケットもペーストも少しあまりました。

翌日残ったバゲットと焼き芋にペーストをつけて焼きました。

ペーストが少なかったので、練乳やバターもちょっぴり上乗せしました。


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一度にたくさん作った焼き芋を別風味でおいしくいただけました。
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 少しのパンならグリルですぐにカリカリに焼けます。


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 「くらしのきほん」には、参考になる記事が他にもたくさんあります。

ありがとうございます。

 

 

涙がとまらない デトックス

あわてないはずが

あわててパニックになってしまうところが私の弱点です。

そこは、あわてないと呪文のように頭の中で繰り返すことで、クリアしていくつもりでした。

でも、そんなはずではないという事態が次から次へとおこると、私の許容量を超えてしまうようです。

 

今日はそんな事態になりました。

 

用事があってそれを済ませてから、車でヨガセンターに向かいました。

時間の余裕を見て出発したのですが、用事で手間取り、雨降りのためひどい渋滞にあい、いつものセンター近くの駐車場は満員で入れません。

 

頭の中はいろいろな思いでパニックです。

 

涙が止まらない

家に帰るとしても渋滞に巻きこまれるだけだと思い、空いている駐車場を探して車を止めてもう練習が始まっているセンターに急ぎました。

 

あわてている様子に、先生の指示はスプタ・ヴィーラアサナとスプタ・バッダ・コーナアサナをするようにということでした。

そのとき、車の鍵をかけたかどうか不安になりました。

 

たぶん大丈夫だろうと思いましたが、不安のままで練習を続けるのはやめて、もう一度車まで戻ると、やはり施錠してありませんでした。

 

センターに戻りもう一度スプタ・バッダ・コーナアサナをしながら、涙があふれてきました。

 

あわてて参加したため、靴を下駄箱に入れてなかったことも注意されました。

この前の練習後の掃除では、バケツの水をひっくり返してしまいました。

こんなに頑張っているのにへまをしてしまう、という悲しい気持ちなのでしょうか。

 

でも涙を流すのは気持ちが良かったのです。

いつも泣くのをがまんしていたのが、解放されたような気持ちです。

普通の練習に戻るよりも、泣き続けていたいと思いました。

 

こんなにがまんしていたのか、無理をしていたのか、考えました。

 

デトックスですと説明

涙を流すわたしに先生が戸惑っているのではないかと、「これはデトックスですから、このまま涙を流させてください」と説明している私は、他人に気を使っているし、自分の弱さを出さないように気を張っています。

 

いい人になろうとしているのでは、とも感じます。

でも、素直になっているな、とも感じています。

 

車の施錠が気になった時も、そのままにしないで不安解消に行動したことは、自分の感情に素直な行動です。以前にはなかったいさぎ良さを感じました。

リラックスのポーズを続けたいと言えたのも、自分をごまかさないで素直だなぁと思いました。

 

がまんしていたのか

何にがまんをしていたのか、考えてみました。

ヨガをしているのだから、家族や友人にいつも優しく親切にと思っていたのに無理があったのかしら。

私が腹をたてたり咎めることをやめて、平和で穏やかだと思っていますが、ひとりがまんをして、こころにうっぷんをためていたのかしら?

 

報いを期待することなくすべきことを行え

というギーターの言葉のように行動しようとしているのですが。

まだ人間ができていないのに、高い人間性を求めて行動するから無理が出るのかも。

 

まだわかりません。

 

気持ちよさを許す

今日の練習は、最後まで他の人とは別メニューをお願いしました。

不安とか悲しみを取り除くアサナをたくさん教えていただきました。

 

ウバヴィシュタ・コーナアサナも壁のほうを向いてします。

(窓とかほかの人を見るのではなく)

ベンチを使ったセツバンダアサナで胸を開いていきます。

 

ひとつひとつのアサナを時間をかけてゆっくり味わいました。

スプタ・バッダ・コーナアサナは10分ほどして、気持ちを静めることができました。

 

優等生ぶった私なら、落ちついたところでみなと同じ練習に参加しますと言ったでしょう。

 

今日の私は自分の気持ちの動揺を落ち着かせるために、自分に必要なことに貪欲になりました。

気持ちよさを許します。

 

反省

許してばかりではありません。

反省もしました。

前のめりになっている心の姿勢です。

 

身体の姿勢も、私は顔や太ももが前に出がちです。

顔が出るのは、情報を取りに行こうとする ← うちこさん

太ももがでるのは、自己主張が強い  ← 純子先生

 

後ろ側を感じましょう、内側の世界も大切ですと何度も言われます。

 

練習に遅れてしまう事ばかりを心配して、一つ一つの行動に気持ちが入っていません。

何を恐れていたのでしょう。

 

練習に遅れてしまうのも、不可抗力が重なったのだから

人知を超える出来事には頭を下げるしかない、というインド哲学の教えを思い出して心を静めて受け入れたらよかったのです。

 

まだまだ修行は続きます。