70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

何になりたかったか?何をしているときが幸せなのか?

共通している

宗教とかスピリチュアル系、自己啓発系の動画や本を読むと、

共通していることがたくさんあります。

取り上げ方とかアプローチが違うだけで、本質的には同じなのかな。

一つは「今に生きる」

過去にとらわれたり未来に不安を感じたりするから苦しくなる。

今のことに全力投球すればいい、という考え方(教え)。

それと、

人の価値観でなく、自分自身がどう思うかを大切に生きる。

自分の心に聞いて、自分の頭で考えること。

 

幼い頃

幼い頃何をしたかったか、思い出してみましょうと本にありました。

それが純粋に自分のやりたいことを見つけるのに有効だと。

仕事も子育ても終わって自由な時間がたくさんあるのだから、

やりたかったことを思い切りする自由もあります。

私は子供の頃、洋服やおままごとにはまったく興味がありませんでした。

それなのに手作りの洋服やお料理をしているのは、

どうしてかな?

環境がそうでなかっただけで、本当は料理や洋服作りが好きだったのかしら。

どんな洋服を着ていたか覚えていないのですが、

唯一覚えているのは洋服屋さんで作ったワンピースです。

その頃は既製服はあまり豊富でなく、

洋裁店で布を選んで洋裁雑誌で型を選んで縫ってもらうのです。

母の行きつけの洋裁店で、やり手でセンスのいい女店主と相談するのです。

できあがった2枚のワンピースの内、

ピンクで胸にピンタックと白いレースがついていたのを覚えています。

小学校の中学年くらいの時のこと。

今でも覚えているのだからよほど嬉しかったのでしょうね。

高校の冬のオーバーもその洋裁店で作りました。

表地は黒だけど裏地は赤にして、

後ろのスリットからちょっと見えるようにして。

洋服に興味がないと言いながら、本当はおしゃれをしたかったのかしら。

 

放送部

小学校では放送部でアナウンサーしていました。

お昼の放送を順番で担当していて、

その頃には珍しいテレビ放送もしていたんです。

画面の切り替えは手でカメラを塞ぐのですが、

その時同時に手を出して、

好きな男児の手と触れ合ったのも楽しい思い出。

今の音訳にもつながっているかな。

アナウンサーにはとてもなれなくても、

マイクの前でしゃべるというのは幼い頃の夢につながっているかも。

 

母のこと

去年なくなった母は洋服や着物が好きで、

老人施設に入っても部屋の中は洋服でいっぱいでした。

着物も部屋に飾って楽しんだり、

死んだ時に一緒に入れて欲しいという着物を決めていました。

なくなったあと部屋の整理をすると、本当にたくさんの衣類。

娘としてもっと少なくシンプルにすれば、

手入れも簡単だしホコリにもならないと思いました。

でも、

「今日は何を着ようか」

「母の日にはどんな洋服をプレゼントしてくれるか」

それが楽しみで生きがいだったのでしょう。

それが母の幸せだったのだろうと今になって思います。

 

100歳のお祝いのパーティーに何を着ようかしら、

それが当面の目標だったそうです。

 

私も母、娘も母になり、あれこれ思う母の日でした。

「おしゃれなジャンパスカート」できあがり