赤毛のアンの翻訳
英語の勉強で松本さんを知りました。
松本さんの『赤毛のアン』の新訳をテキストにしたからです。
面白いです。
作家ではあるけど、英文学の専門家ではない松本さんが翻訳されたのです。
彼女の大学での専門はなんと政治!!だったということを、この本で知りました。
そして、女性の自立という点でアンの物語に共感していきます。
赤毛のアンは女の子の自立の物語だったのだ。アンは他の女の子のように華やかできれいな服を着ているわけではない。マリラのお手製の地味な服ばかりだ。
それなのに、どこか他の少女とは違って、凛としたみずみずしい美しさがある。つまり彼女には個性があり、それがの魅力になっている。他の少女と同じ服装や考えや行動をするのではなく、自分だけの生き方とスタイルを持っている。
それでいて、アンは、美しいもの愛する繊細な優しい心も持っている。食卓を薔薇で飾ったり、もちろん美しい衣装も愛している。
芸術と広い視野
日本の女性雑誌は、アンの物語のロマンチックなところばかりを特集します。
彼女の聡明なところ、誇り高いところを前面に出そうとしていないと私も思います。
しかし、手芸とお菓子作りと結婚の事しか頭にない人は、アンの同類ではない。アンは、家の外にも広い視野を向けているからだ。
私はアンの同類になりたいです。
私の今までの生活でないがしろにしてきたのは、美しいものを愛することとか、生活の潤い、動植物への愛情などだと感じています。
それを、今になって身につけたいと思っているのです。
アンは、美しいもの愛すると同時に、文学や詩を愛し、常識にとらわれない自分の意志と考えと個性を持ち、前向きな夢と、それに向けての努力を忘れない。
松本さんがそのあたりを、すばらしく言語化してくれています。
それに向けての努力も忘れない、ってところがアンのすばらしいさで、私が見習いたいところです。
結婚について
松本さんは結婚をゴールのように思わされている女性には、厳しい目を向けています。
結婚は男性も女性も自立することが前提です。
アンは経済的にも自立しているから、ギルバートとの結婚を愛と尊敬とで決めることができます。
自分の夢に向かって努力している女性は、光っている。結婚してその光を消すのではなく、より輝かせていくのが、真実の結婚だと思う。
著者がそのとき住んでいた大阪の男性は、生活面で自立していなくて恋愛対象にならないと嘆いています。
日本の封建的差別的な男女関係に、厳しくきりこむ言葉がたくさん出てきます・
新郎も新婦も立派な大人なのに、花婿の父親が挨拶するのはどうだろうか。最近は、新郎からの挨拶もよくあるが、花嫁が、式の間中、一言も口をきかないのは不自然だ。結婚も家庭生活も2人で作り上げるものだ。「夫が代表、妻が補助」ではない。
アンが切り開いた道ですが、日本の女性達はまだそこに至っていないのです。
デビュー作から一貫して 女性の視点
松本さんは スバル文学賞を受賞した『巨食症の明けない夜明け』でデビュー。
摂食障害の若い女性を描いた作品で、その病気の原因を母子関係としています。
それから、だんだん彼女の考えは変わってきました。
ジェンダーの問題と断定しています。
フェミニズムの視点から病気の原因を探るのです。
病気の原因を私は、幼児期から続く母親の母親への甘えと拒絶という葛藤、つまり母子関係の歪みとした。そのほかの原因としては、初めての失恋、女性としての肉体と精神の成熟拒否、性への嫌悪を設定して書いた。しかし今の私は、親子関係の歪みを母子関係に限定した事は、この小説の失敗だと思っている。つまり、父親を無罪放免とした手落ちを自覚しているのだ。・・・・
現在の私は、女性の摂食障害の原因には、夫と妻の封建的、差別的関係もあると推測している。そして娘は、そのような父母の男女関係に鈍感ではない。そんな娘の屈折と反抗があると、確信している。
松本さんの作品読んで、フェミニズムについて考えてみることにしました。
アンの物語もフェミニズムの視点で読むことができるのです。
ミシンで洋服を作りながら、松本さんの本を読む。
楽しい時間が続きます。