70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

清澄白川公園でハタヨガ ここはどこ?松と岩がたくさん

うちこヨガ in 歴史的建造物


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今日は久しぶりにうちこヨガに参加。それも銀座でなく清澄庭園での開催。


初めての清澄庭園

地下鉄清澄白河駅すぐにある公園。入園料は150円で外国人観光客の方もいらしてました。

岩崎家(三菱財閥)の社員の慰安や貴賓を招待する場所だったそうです。 


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大きな池の向こうに、築山などが見えます。凝った岩と松の形が素晴らしい!富士山を模した小山もありました。


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池の向こうに今日の会場の涼亭が見えます。東京都心とは思えない深山の風景。


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これは磯渡り(いそわたり)といって池の端に石を転々とおいて、歩けるようにしたものです。この上をひょいひょいと渡ったのですが、落ちそうでちょっと怖かったです。

ヨガマットを背中にかついでいて、バランスが難しくて。

落ちた人のため(?)の救命浮き輪が用意されていて、笑ってしまいます。

お世話にならなくてよかった!

 

涼亭の畳の上でヨガ


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実はオープンエアの公園ヨガをイメージして参加したのですが、全く違いました。

ガラス張りの窓は締められて、エアコンが効いていました。

周りの縁側に出ることは禁止、それに・・・・

蚊が入らないように出入りは迅速に短時間で。

まったく閉じられた空間でのヨガでした。

 

さすが外国からの貴賓をもてなすためつくられたお座敷、窓からの眺めは抜群です。

 

畳の上に置かれた重くて大きな座卓を隅に寄せてマットを敷きつめました。

 

汗まみれになるのではと、短パンで着替えまで持っていったわたしは、ちょっと場違いな感じで恥ずかしかったです。

 

インド哲学とか瞑想とかの講話も

 

ヨガが他のストレッチなどの運動と違うのは、輪廻の考え方があるかないかではないかという話になりました。

 

インド・中国・ヨーロッパ・日本の死生観の違いなどもさらっとお話しして、最後のヨガニードラのときどんなふうに瞑想につなげていくかの解説もありました。

 

インド哲学のさわりの部分、例えば寝ている人を4種類に分けるお話なんかが面白かったです。

 

ヨガとは一心に何かに集中できて雑念が生じてこないことだとしたら、縫物をしていたり掃除をしていたりしていてもヨガしているわけですね。

 

会社の分からず屋の上司、わがままな家族に対して自分の心を乱さずになすべきことをしていることも、ヨガをしているんだろうなって思います。

 

呼吸法

時間がたっぷり(9時半から12時過ぎ)あるので、呼吸法にもじっくり取り組みました。

 

肺にたくさん、背中にも空気を入れるように吸います。

私は今もって吸える空気の量が少ないなって感じました。

そんなに肺が満杯な感じはしないのに、それ以上息を吸い込めません。

この数か月、アイアンガーヨガで胸を広げることを続けてきたはずなのに不思議です。

 

以前よりもたくさん吸えるようになっているのかもしれないのですが、比べようがありません。

以前がどうだったのか、よくわかりません。ちょっと悲しいです。

 

吸った息を止めているときに、気(プラーナ)を身体の先っぽ、皮膚の毛の先まで行き届かせるのを意識するんですって!

 

空気からエネルギーをもらう感じです。

それができたら、究極の省エネです。

 

最後にカパラバティ呼吸法をしました。

鼻で息を力強く吐き、その度にお腹をへこませます。

頭蓋骨がピカーとなる呼吸法だそうです。

元気が出てきます。

アクティベーション効果があります。

 

眠たくなったときにしたらいいのかも。

 

繊細に身体を感じて

アサナは身体を繊細に感じて、繊細に動く(動かす)練習をたくさんしました。

 

眼ヨガでは、参加者全員が池のほうを向いて眼球をゆっくりいろいろな方向に動かします。

3面のガラス窓、どこも池とステキな松と岩が見える最高のロケーションです。

 

セツ・バンダアサナ(橋のポーズ)でも、尾てい骨から背骨を床から上げたり降ろしたりを、カウントをしながらゆっくりゆっくりていねいに動かします。

ゆっくりの後は、倍速にして滑らかな動きも練習しました。

 

眼や背中の動きは、なめらかでなくギコギコしてしまうのですが、どこでそうなるかも観察しながらです。

 

手を上にあげてつま先立ちするのに、息を吸いながらあげた後、今度は息を吐きながらあげてその違いを感じたりもしました。

眼を閉じてポーズを取ったらどうか試してみて、どんなに目の力を頼っていたかに気付いたり。

 

繊細に身体を観察することは、物事を繊細に観察することとつながるのかしら。

そして、観察することから自分で頭で考えることの訓練になるのかも。 

 

ヨガニードラ

メニューの最後はヨガニードラ。

寝ながらの瞑想で、ガイダンスに従って身体のパーツを順番に意識していきます。

でも、眠ってはいけなくて、眠りそうで眠らない意識の状態をキープします。

 

実はヨガニードラを辛いと思ったのは、今回が初めてです。

 

今までは、アシュタンガのプライマリーハーフをベースとしたアサナでヘロヘロになるまで身体を動かした後なので、邪心なく横たわることができました。

 

今回はゆったりとしたハタヨガだったこともあるので、横になっても頭が軽くなりません。

連日の暑さで肌が敏感になっていることもあり、手足のあちこちがチクチクして気持ちを乱してきます。

 

無視しようとすればするほど、そのチクチク感が大きくなって我慢できなくなってくるのです。身体を動かしたくてたまりません。

 

ヨガニードラは動かない、モーションレスの練習だから、我慢します。

 

うちこさんのガイダンスに集中しようと努力しては、からだのチクチクに引き戻される、そんなせめぎあいを続けていました。

 

実際に湿疹やあせもがあるんではなく、妄想のような感覚なのです。

 

日常で自分でヨガニードラをしようとしても、ときどきこの感覚に悩まされます。

 

動いているときには意識しないのだから、横たわって静かにしていても無視できるはずなのですが、むつかしいです。

 

それだけ瞑想が難しいという事なんでしょうね。

 

ヨギーニをめざして

開催場所のせいもありいつものアイアンガーと違うヨガで、小旅行をしたようです。

 

そして、ヨガが日常すべてに関係していることを改めて思いました。

アイアンガーでも細かいアライメントを確認させられますが、あらゆることの微細さに気を配ってていねいにすることが、ヨギーニなんでしょうね。

 

そういうていねいさをキープするためには、たくさんの「物」「情報」に囲まれていては無理です。

必要なもの、自分にとって大切なものを選んで少なく持つことでしかできません。

 

「人」もそうだし「趣味」「仕事」なんかでも、本当にそれが必要なの?大切にすることでほかのことが犠牲になってもいいの?って考えながら暮らしていきたいです。

 

連日の暑さの中でも、ヨガは私にとって大切で出かけたい場所だったのだと再確認しました。

 

お金も時間も体力も、今はヨガのために使うことが楽しいです。

 

 

 

 

 

『夢を売る男』百田尚樹著 私はうっかり信じてしまいそう

本当にあるお話

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『夢を売る男 』に出てくることって本当にありそうです。ちょっと調べてみたら、モデルとした会社は文芸社という会社で、その会社のHPには各種文学賞の作品募集がでていました。

本の内容と同じような経験した人がたくさんいるらしいです。

 

内容は

自費出版専門で詐欺まがいの商売をしている編集者が主人公。

自分の本を出版するのに、たくさんのお金を出してしまう人たちが出て来ます。

小説家になりたくて書いている人だけでなく、書く気がなかった人までその気にさせてしまう敏腕ぶり。

出てくる人は


*新人賞に応募する作家志望の青年
*夢だけは大きいフリーターの自意識過剰青年
自己実現の夢を子供に課している教育ママ

 

本を出させるまでも巧妙ですが、クレームをつけられてからの切り返し方も「そういう手があったのね」というくらいにたくさんの手札を持っています。

 

うまい、本当にことばたくみ、ああ言えばこう言うという語彙と発想の豊かさ、私だったらすぐ騙されてしまいそう。

 

わたしはだまさやすい

私がもっと書くことの修行を真剣にしていて努力家だったら、この手の話にすぐだまされてしまいそうです。

 

短いものなら書けるけど、長いものを書く力量と根気がないことを知っています。

 

学生時代に友達と同人誌めいたものを作っていて、お話しづくりが本当に難しいことを身に染みました。

 

原稿用紙10枚くらいの小話でも、うんうん唸って書いていました。

 

もし私が文才があり、書き続ける情熱を持っていたら、すぐ話に乗りそうでこわかったです。

本を読みながら、登場人物の気持ちに同化してしまいそうでした。

 

だますのではなく夢を売っている

だから主人公のこの言葉は同感です。

賞を取るか取らないかわからない長編小説を最後まで書き切るという人間は、自分の作品を傑作と信じている。だから傑作だと言ってやれば、疑う人間はいない。

そして、売れなくても本を出せたということで一定の満足を得ることができます。

だから「夢を売る」男なのです。

 

お金を出させて、逆に感謝される

心に闇を抱えた人間は本を出すことで、憑きものが落ちたみたいになることがすくなくない。
この商売は一種のカウンセリングの役目も果たしているんだよ。

 

心に屈折したものを抱えていたら、書かなくてはいられない気持ちになるかもしれないです。

 

若い人なら、失恋とか男にだまされたとかね。 

私たち世代だったら、親の介護問題とか相続でもめた家族関係とか。

自分の心の中に納めておくには辛いこと、だれかにわかってほしいと思うことありますよね。

 

出版業界の実録ルポみたい

自費出版の仕組み、取次会社のことなど出版業界のしくみがよくわかります。

 

どんなに小説が売れないかは知っているつもりでしたが、実情は本当に惨憺たるものなのでしょう。

小説家で生活できる人が、どんなに少ないかの説明も説得力があります。

 

小説を読まない人が多いのです。

日本人が本を読む時間は1日平均13分しかなく(2011年「日本人の生活時間2010」NHK刊)、それも雑誌や自己啓発本やハウツー本が多いのではないでしょうか?

振り返って見て、私も私の周りでもそうです。

 

それでも、自費出版が多くてお金もうけになるのは、書く方の事情です。

小説が売れようが売れまいが関係ない。物書き志望が増えているのは、ブログやSNSの隆盛による必然なんだ。・・・今は、皆が舞台に上がりたがって、観客は一人のいないという状況なんだ

観客無視のひとり芝居ってわけですね。

確かにお芝居やダンス関係の自主公演で切符を自分で買って、家族友人に配っているのと似ています。 

 

ブログ書いている人は読んだ方がいい 

 

主人公は自費出版のターゲットを、新人賞応募者からブロガーに変えていきます。

 

読者が少ないのに毎日更新しているブロガーなんですって。

私も気をつけなくては(笑)

毎日、ブログを更新するような人間は、表現したい、訴えたい、自分を理解してほしい、という強烈な欲望の持ち主なんだ。こういう奴は最高のカモになる。

 

たくさんの読者がいるブロガーさんはもう大手出版社が対応しています。

そういう有名ブロガーのように、いつか自分も認められて本を出せると思いながら頑張っている人が多いのでしょう。

うちが狙うのは、大手が見向きもしないようなブログだ。大事なのは更新数だ。誰も見ていないブログをせっせと更新するような奴は必ず食いついてくる

 

ブログを書いている人は、この本を読んで免疫を作っておくといいです。

 

世の中、そんなに甘い話があるわけではないですから。

 

ちなみに

私の知人は「エッセイ塾・ 自分史塾」を主宰していて、その生徒さんたちが何冊も自費出版で本を出しています。

70歳代80歳代の女性が、なかなか読みごたえのあるエッセイを書いています。

遺言書代わりに自分の生い立ちなんかを書き残すひとや、どうしても伝えたい戦争体験とか。

本つくりも良心的な価格で喜ばれています。

 

今は自費出版もかなり安くできますよ!!

 

夢を売る男 (幻冬舎文庫)

夢を売る男 (幻冬舎文庫)

 

 

 

筋肉痛になるまでに時間がかかる 身体が変わってから痛みが来る

合宿のときは

ゴールデンウィークの3泊4日の合宿中、あまり筋肉痛になることはありませんでした。

連日の練習で疲れはするのですが、シークエンスが終わりシャバアサナでリラックスできるので、翌朝には元気な新しい気持ちで参加できたのです。

 

他の参加者が筋肉痛になったというのを聞いて、日常的にヨガセンターに行っているので特に筋肉痛にならないのだろうと思っていました。

 

ところが違うようです。

筋肉痛になる身体になっていなかったのです。

 

この頃の変化

最近、ウッティタ・トゥリコーナアサナなどの立ポーズで、後ろ足のかかとに乗ることが少しずつできるようになってきました。

 

そして、腰が前に流れなくて正面のままでいることにも近づいてきました。

 

「かかと!かかと!」と最近特に言われるような気がするのですが、実際のところは今までは耳が聞き流していたようです。

言われてもできないと、耳はふさがれる、というか心がふさがれて、届いていなかったよう。

 

この頃は「かかとの外側を押して!」といわれるとかかとの外側に意識が向きます。すぐに力が抜けてしまうのですが、またかかとで押すようにと頑張ります。

「太ももも押して!」と言われるとかかとと同時に太ももも押そうと頑張ります。

 

そうすると、身体がつながってきて全体が伸びるってこういうことかしらって瞬間があったりします。

 

 

ウッティタ・パールシュヴァコーナアサナのときは、本当につらくて苦しいのですが、少しずつ完成形を目指します。

 

こんな時も足のかかとを押すなんて!!と初めは思っていました。

でも、指導員の先生のアサナは本当に素晴らしいのです。

伸ばした足のかかとから、斜め上に伸ばした腕の爪の先までが一直線で力強いのです。

かかとを押す力で上に伸びているのがわかります。

アサナが終わった時はとってもさわやかでいい気分ってお顔になっています。

 

家では絶対このポーズはしないなっと思う苦手なアサナですが、ヨガセンターではそういうわけにもいかず最近は毎回です。

 

苦手ですが、毎回少し変化してくるのがわかるようになり、「すこ~し好きになりそう」って思えます。

 

右肩が脱臼したせいで、左右差がとてもあるのですが、その左右差がなくなってきた変化もわかります。

  

後ろ足のかかとに乗って

かかとと足の付け根をつなげて、付け根のところを引き込んで体を起こして胸を張ります。

股関節の堅い私は、形をまねただけのポーズでごまかしていたようです。

ヨガセンターでは正しいアライメントのインストラクションで、繰り返し繰り返し練習します。

 

いつでもタダアサナの足に戻って、かかとに乗っているかを確かめるのです。

 

床についている足はどのむきでもたとえ上半身がななめでも、かかとは垂直に下に押すのです。 

 

臀筋が使われてきた

そんな風に身体を動かしていたら、臀部が筋肉痛になりました。

それまで使っていなかった筋肉を使いだした証拠です。

合宿でほかの参加者さんたちが言っていたのは、このことだったのだとわかりました。

 

インストラクションにそって正しいアライメントを目指すと、しっかり筋肉を使うことになり、筋肉痛になるのです。

 

これまでの私は身体が硬くて、動いていなかったのでしょう。

 

身体が動き出すと心もやわらかく

ヨガセンターに行きはじめてもうすぐ10か月。

やっと体が動き始めてきたような気がします。

 

壁を使い壁に添って身体を倒していくとき、壁から離れようとする身体を感じます。

 

もう一度壁に戻そうとして、意識を筋肉に伝えて動かそうとします。

 

動くと思わなかったところも、わずかに動くことに気がつきます。

 

そんなふうに身体が動き出すと、同じように心もやわらかくなっていくことに気がつきます。

 

以前なら怒ったりいらいらしたような出来事があっても、こころが平静でいられます。

 

以前なら、自分が変わるのが難しいと思っていた行動を、「私今から態度を改めます」と変えることに抵抗がなくなりました。

 

変わっていくし、変わったっていいのだということがわかってきたからでしょう。

 

変わっていく心にも、筋肉痛のようなものがあるかもしれないです。

それも感じたら楽しんでしまおうと思います。

 

後ろを感じるとは、 自分の内側に意識を向けること そして静かになること

この頃のテーマ

ヨガセンターではマントラに続いての練習は、足の指にスティックをはめて歩くことから始まります。

大きく輪になって歩くのですが、つま先立ちになって歩いたり、ジョギング風に早足になったりします。

 

痛いです。体調の悪い時は特に痛いです。

 

それに加えてこの頃よくおこなわれるのが、スティックをはめたまま後ろ向きに歩くことです。

アサナでも、壁に背を向けて立って「背中を感じましょう」というのがあるのですが、壁なしでも歩くときに背中を感じる練習です。

 

後ろ向きに歩くとき、眼は前を向いていますが情報を得ようと思いません。

意識を後ろに集中させます。

 

内側に意識を

よく純子先生は「前に向かうのは外の世界、後ろは内側の世界」というお話をなさいます。陰と陽で言うと後ろは陰の世界、自分の内側の世界です。

 

後ろ向きに歩くことは、自分の内側に意識を向けることにもなります。

 

外に外にと情報を得ようと向かう気持ちを抑えて、自分の内側の世界に目を向けるのです。

 

心の中も

後ろ向きに歩くと心も静かになるのがわかりますか?と指導員の先生に聞かれました。

確かに、ゆっくりていねいに歩くと心も穏やかになります。

 

この穏やかさを失くさないように、ヨガの練習をしましょうと言われて、その場の全員の立ち振る舞いが上品におしとやかになりました。

 

ブロックを出したりするときの音も静かになったり、いつもとちょっと違う静けさがホールに漂ったような気がしました。

 

そのままの静かな気持ちで

この穏やかな気持ちは、日常生活でも持っていたいものです。

 

ある練習の時、一連の身体を伸ばすアサナをした後で指導員の方が「頭が静かになりましたか?」と聞きました。

ヨガセンターに来て、まだ体も心もざわついていたのが、外界の雑音が消えて自分の身体に集中したときに得る静けさです。

 

なにかと心が乱れる日常に、静かで・穏やかで・純粋なこころもちを取り戻したいです。

 

そのための近道が、ヨガをすること。

ヨガをすることは、そういう心を強く持つための訓練。

 

アイアンガーヨガ スペシャルケア 自宅でできるひざのケア

足のトーンを整えるために

足のトーンを整えるというのは、ひざの上と下の骨がずれずにつながった状態をキープするということです。

立っているときにひざが真正面を向いているか、座っているときには太ももの太さや向きが同じであるかを確かめます。

 

バジュラアサナは、ヨガセンターではかかとと膝上にベルトを巻いてトーンを整えます。

その時太ももはできる限り内側を後ろに回して(インテリジェントベルトで回すように)坐骨を広げます。

そうすると、太ももにセンターのラインが見えるというのですが、今の私はまだそれを見極めることができません。

 

家でもバジュラアサナはできますし、夜寝る前にダンダアサナやウパヴィシュタ・コーナアサナで前足を伸ばし、つま先やひざを真上になるように心掛けるといいのではと思います。

 

ベルトなしのほうが手軽にできるのですが、ベルト使ったほうが効果はあるんでしょうねぇ。

 

洗濯物をたたみながら

横座りはいけないと思うので、洗濯物たたみなどの家事は、開脚でしようと思います。

 

以前菊池体操のクラスに参加したとき、講師の先生もそうしていました。

もう10年くらい前の話です。

ちなみに、わたしの姉も以前から洗濯物たたみは開脚姿勢です。(笑)

姉もこのブログ読んでくれているので・・・

 

あと、雑巾がけはひざをつくのをやめようと思います。

マーラアサナ(しゃがむポーズ)ができるようになったので、雑巾がけは再開。

ひざが痛い時は、もっぱらクイックルワイパーとかモップ頼りでした。

 

狭い我が家に一直線に雑巾がけをするような場所はないのですが、狭いところを膝をつかず中腰でふくことにします。

 

この時、右手だけでなく交代で両手を使うといいというのは、うちこさんから得た知恵です。

 

物理的にむくみをとるために

ひざの炎症で水がたまると、膨らんでしまいます。

今は改善されてそんなに水はたまっていません。

でも、リンパ液・血液なども足先にたまって循環が悪くなりがちです。

 

物理的にも水分を下げるように、足をあげる体勢を時々とりたいと思います。

 

だいたいヨガの練習から帰った後などは、足を椅子の上にあげて休憩します。

これは食事後のお腹がいっぱいの時でもいいそうなので、食後の休憩のときもいいですね。

(食後によくないのは、前屈とねじるポーズです)

ちょうど今日のクラスで、椅子を使ってのシャバアサナを教えていただきました。

 

ひざの裏のブランケットや腰の置き方(平にまっすぐに押す)など参考になりました。

 

正しい姿勢は正しい生活、そして正しい心ってこと

足を強くして正しい方向に鍛えていくことは、正しい姿勢になります。

立っているときも座っているときも、ひざがまっすぐで両方が同じようであるようにしているのですから。

 

こういう正しいというか、身体の本来の姿で無理もないけど無駄がない、身体を大切にていねいに扱うことは、正しい生活そして正しい心ってところにつながっていくような気がします。

 

正しい正しくないというのは、一つの価値観にとらわれていますね。

そうではなくて・・・・本来のというか、せっかくの身体をより良く使うためというか・・・

 

これはもっと考えを深めていきたいと思います。

 

 

 

 

アイアンガーヨガ スペシャルケアその4 ひざに頼って傷めていた 

傾斜板で

ヨガセンターではアサナに入る前の準備として傾斜板に乗ります。

そのとき、ひざを引き上げてももを骨に押し付けるのですが、最近はその時力を入れるとひざがミシミシいうようになりました。

 

力がついてきたからだと思っていたのですが、どうもそうではないようです。

 

ひざにばかり力が集中していて、ももが使えていないのです。

 

このまま続けていたら膝をもっと悪くしてしまうところでした。

 

スペシャルケアで、このことがはっきりわかりました。

 

かかとから足の付け根

ついつい意識が届きやすいひざばかり使っていました。

先生のアドバイスは、かかとから足の付け根までのラインを意識するということです。

 

ひざで途中下車しないのです。(これはわたしの表現)

 

かかとを押しその力をまっすぐ足の付け根まで持っていきます。

ウッティタ・トゥリコーナアサナも、大きく曲げないでそのことだけを意識して練習してみなさいと言われました。

 

すぐに練習でできるようにはならないのですが、意識の仕方がわかりました。

 

ももを骨に押す

かかとと足の付け根をつないでから、太ももを骨に押します。

ひざを引き上げる前に、太ももの筋肉を使うというのですが、これができません。

 

観察してみたら、太ももにも私の命令が伝わっていません。

 

これからの練習の課題です。

 

全体を使わず、ひざなどの一カ所に負担がかかってしまっているのが痛みの原因です。

 

ももを意識するために

なかなか意識の届かない太ももを鍛える方法を考えました。

ちびベルトを締めることも、意識するためには有効なようだからこれからも立ちポーズの時には使うことにします。

 

アサナをするときに、ひざを上にあげることより先にかかとと足の付け根をつなぐようにして太ももを押すようにします。

その結果として膝が上に上がっているという意識です。

 

 

ももの手入れ

ももは力を入れていない時は柔らかくて、力を入れると固くなります。

純子先生の太ももで、両方の違いを実際に触らせてただきました。

 

冷え性だったりすると太ももは固いのだそうです。

普段は柔らかいほうがいいのだから、ほぐしてあげることにしましょう。

 

力を入れても、あまり固くならない私の太ももですが、これからどんなふうに変わっていくかを楽しみにすることにします。

 

部分と全体

今の私の痛みはひざですが、原因はひざの使い方だけではないでしょう。

 

全体の身体の使い方のゆがみというか、正しくない癖が一番弱いひざの痛みとして出ているのだと思います。

 

ただ、ひざのためというのではなく、身体全体をアサナで整えていくことが大切です。

 

部分は全体をあらわしているってインド哲学でもあったような気がします。

アイアンガーヨガ スペシャルケアその3 上腕外旋と背面の皮膚を下げること

アドー・ムカ・シュヴァーナアサナ

これは英語でダウンドッグ、日本語では下向きの犬のポーズといいます。

この時の腕の外旋が苦手です。

二の腕を内側から外側に廻すのですが、この筋肉に意識が届かず言う事をきいてくれません。

 

うちこさんは「耳と肩を広く開けて」というような言い方をします。

秋津のスタジオでは「二の腕を外旋して」という説明です。

今回のスペシャルケアでは「腕を外旋して、背中の皮膚を下に下げる」という補足アドバイスがあって、上達の糸口が見えた気がしました。

 

腕を伸ばそうとすると、肩が被って来てしまいがちです。

腕ではなく、背中を意識することでよい形に近づけそうです。

 

ウパヴィシュタ・コーナアサナ

これは座って足を開脚するポーズです。

ここでも、背中が重要でした。

 

アイアンガーヨガではベルトを使って補助します。

 

フルポーズでは前屈するのでしょうが、開脚して両足にベルトをかけて、胸を張ります。

腰を立て(坐骨で座り骨盤を立てる)ベルトを引っ張る腕のひじも伸ばします。

 

頑張ってベルトひっぱっているわたしに、アシスタントの方からアジャストが入りました。

肩を後ろに回し背中の皮膚を下げるようにです。

すると、うまくバランスが取れ、気持ちよく胸がひろがりました。

 

 

背中の皮膚を下げる

いろいろな場面で「背中の皮膚を下げて」と言われます。

シャバアサナやスプタ・バッダ・コーナアサナなどです。

仰向けになるポーズの全てでそうなんだろうとは思っていました。。

 

今回のスペシャルケアでの気づきは

立ちポーズでも座るポーズでも、いつでも背中の皮膚は下げるっていうことです。

 

私にとっては、無意識のうちに緊張してしまう肩や背中を緩めることにもなるので、是非とも身につけたい体のメンテナンス方法です。

 

アジャストで背中の皮膚を下げながら、頭を上に伸ばしてくださいました。

首が伸びて、とても気持ちが良かったです。

 

以前、肩こりから頭痛が出ていましたが、この頃はそんなことがなくなりました。

ヨガを続けている効果でしょう。

 

胸が広がる

背中の皮膚がさがると、胸骨が上がり胸が広がります。

すると呼吸が深くなり、新鮮な空気が胸にたくさん入ることになります。

胸が開くと、心が開かれていくという関連があるとヨガセンターで教えて下さいました。

 

これは、実感しますね。

 

自分の身体に集中して、小さなことなんて、どうでもいいという気持ちになりますから。

 

心と身体を解放してくれるヨガを続けていきます。