70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

わかっていてもできるとは限らない  音訳も日常も

わかったこと

自分の録音を聞いて、足りないところ、良くない癖はわかりました。

 

長音や撥音を端折ってしまう

例 900→キュヒャク  

  発達が→ ハタツ

 

助詞が抜ける 特に母音が重なると

例 文章を覚える→ブンショーオボエル

 

聴き直して(校正して)修正するのですが数がたくさん!

 

途中で気がついているのですが、読むときは他のことに気が取られて

同じ間違いをしてしまいます。

 

マルチ

読むときは音量、声の調子、意味のかたまり、などを同時に考えます。

慣れたら自然にできるようになるのかしら?

今はそのどれかが欠けてしまって、デコボコの仕上がりでした。

意識しての修練を重ねることしかないですね。

一心にはするのだけど、他のことにも気を配りながら。

これは日常の作業や生き方、人との関わり方なんかにも言えるでしょう。

ミシン作業だってそうです。

まっすぐ縫うのですが、できあがりを予想して順番や布の引っ張り具合を工夫します。

料理も、一品作るだけでなく1食のバランスとか手順・時間すべてを加味しての一連の流れです。

マルチに脳を使うと認知機能が鍛えられるそうです。

 

日々修行

足りないこと、できないことが多くてもめげないようにします。

わかっていてもできない、理解したつもりでも忘れてしまう。

そんなことがあるのが人間だから、日々が修行です。

 

音訳は一仕事終えて、また最初からの1歩を踏み出す段階に戻りました。

60歳過ぎても新入生みたいな気持ちです。

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春を待つつるし雛 コロナ終焉を願って