70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

【イス坐禅】自分の身体の中に自然があることを感じる

日常の禅

開口1番の南嶺の言葉、どうしてイス坐禅を東京駅の近くで行っているか。

人工物ばかりの中だけど、

その中で自分の体中に自然があることを感じてもらいたから。

鎌倉のお寺は自然に恵まれていて、そこまでくれば坐禅の環境として最高。

でもそれは非日常。

南嶺管長が目指しているのは

日常生活に坐禅を取り込むにはどうしたらいいか。

もっともっと坐禅の心地よさをたくさんの人に感じてもらいたい。

その熱い思いで進めているイス座禅のプロジェクトなんですね。

 

座禅会を終えて

質疑応答の時間があり、管長様から

「自分の身体の中に大いなる自然を感じていただけたでしょうか」

という問いかけがありました。

この会議室で自然を感じることができたら、

日常生活のどんなところでも自然を感じることができると言うことです。

 

参加者の感想で、

「もっとずっとイスに坐っていたいと思った」とありました。

管長様の狙いはまさに、

坐禅が辛いものではなく、もっと坐っていたいと思ってもらいたい」

と言うところにあるのです。

 

明るく元気に

私もこの頃はイス座禅会が終わったあと、

とても元気になっているのを感じます。

特に今回の座禅会の日は、

早朝に家を出て一日中病気の孫のお世話をしたあとでした。

疲れのため法話坐禅中に寝てしまうのではと心配でした。

でもそんな心配は無用でした。

柔軟体操でしっかり身体を動かし活性化したみたい。

それに続くお釈迦様の苦行の後の悟りが、

臨済録の教えにつながるというお話は熱のこもったもので、

心を打ちました。

宗教学的には違うかもしれないけど、

禅の教えを信じているからそのように解釈したいという

南嶺管長の信仰告白とも言える、と私には感じられました。

 

坐禅中もいろいろな想いが心をよぎりましたが、

こだわることなくどんどん流してしまいました。

気持ちよく坐ることができ、終わったあともすっきり。

疲れも眠気も感じることなく帰途につきました。

翌日も翌日も孫守りに通ったのですが、

笑ってこなすことができました。

 

気の持ちようで疲れ方は変わるって本当です。

坐ることを学んでいるのですが、

立つとき歩くときも禅を意識するようになります。

日常のすべてが禅だというのが教えですが、

そんなことも少しわかってきた感じです。

実践も少しずつです。

会場に早くついて一番前に