物理学と般若心経
武田さんの動画の中で科学と宗教について
佐々木閑先生と同じようなことを言っています。
物理学と般若心経の共通点。
お釈迦様の仏教が今の量子力学の世界観と同じだと、
物理学者が驚くというお話です。
それがおもしろくて双雲さんの動画をたくさん見ていて
この動画に行きつきました。
音声だけです。
何度も聞き直したい。
何度も悩み苦しんだ思春期からの心の軌跡を語り尽くしています。
自分の心を分析するおふたりの対談です。
幸せになるのは Being
心理学用語でしょうか?
とてもわかりやすい説明を聞きました。
Having とは物を持っていること。
物を持つことに幸せを感じても、
もっとたくさん持ちたいという執着が湧いてきます。
Doing とは行動すること。
自己啓発を目指したり自己肯定感を得るために、
学んだり修行をしたりしても満足することはない。
もっとできるはず、○○をしていない自分を責めるようになったりもします。
Being とは存在することで価値があるのだと思えること。
それは知識ではなく腹の底から納得、実感していなくてはいけないでしょう。
お二人の共通の認識は
DoingとHavingでは積み重ねても自己肯定感は得られない
Being は積み重ねて行くことができる。
DoingやHavingが大きくなるとそれに依存してしまってハンディにもなる。
これからの私は Beingを確かめながら生きていこう。
Beingとは
「人皆仏性を持っているから、他になることを求めるのではない」
という仏教の教えにも通じる考え方です。
できないことを嘆くのではなく、今のありのままを受け入れて心穏やかに暮らすことが幸せな生き方なのでしょう。
かといって、怠惰でいいということではないです。
これは易きに流れやすい私は心しなければならないです。
Beingって南嶺管長がよくおっしゃる「たたずまい」
でもあると思います。
たたずまいが自分を現わしているのだから、
いつだって気を抜くことはできません。
目に映る物が自分の心を写す鏡だとしたら、
住む場所を調える努力を怠るわけにもいきません。
食べること、眠ること、話すこと、
どんな場合にもBeingを意識する必要があります。
武田双雲さんが
「僕はていねい道を広めたい。なにごともていねいにするんです。」
と言うようなことをおっしゃっていました。
ていねいにゆっくりしたら、
過食で太ったり胃腸を悪くすることもなく、
血圧だって下がって安定するかもしれません。
わたしに必要なのはこのていねいでゆっくりした行動かもしれないけど、
それができないというのが私の個性というか生まれながらの特性かもしれないです。
おもしろい動画や人物にどんどん出会っていって楽しい。
こんなふうに求めて行動するのも私の特性??かな。
この本に双雲さんは号泣したそうですが、私は対談ほどは心に響かなかったです。