70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

宗教はいろいろあっていい 実践の方法も

今思うこと

たくさん動画を見たり本を読んだりして、今思うことをまとめます。

仏教や哲学のことも、すぐに忘れてしまうのでこのブログを書いています。

何度も読んだり見たり聞いたりして、少しずつ納得したり身についていって、

それが智慧につながるのだろうと思っています。

最近の気づきの一番は、人によって信じることが違って当然だということです。

自分と他人は違うのだから、考え方や価値観が違うことを前提にすれば、

心が大きくざわつくことが少なくなります。

それでいて、自分と他人がつながって自他一如に先々行きつくかもしれないという希望も持っています。

 

佐々木閑先生

お釈迦様のことが大好きで、お釈迦様の仏教(原始仏教)を研究しています。

そのスタンスは、「仏教は(あるいは宗教は)病院のようなもの。心を病み苦しい人がその門をたたけばいい。必要だと思わない人に押しつけるものではない」

だからどんな宗教も否定はしませんが、お釈迦様の仏教は合理的で現代の人々の心の救済とか、よりよく生きるための真の哲学になり得るとします。

南嶺管長さんも同じようなスタンスではないでしょうか。

 

林香寺住職/精神科医 川野泰周先生

マインドフルネスを医者として提案するとき、患者さんによってスタイルを変えるそうです。

多動傾向のある人にただ坐る呼吸瞑想は辛い。

聴覚に鋭敏すぎる人はヒーリング音楽がうるさいだけ。

そんな風に個々人に向き不向きがあるというお話は説得力があります。

誰でも座禅が一番いいのではないのです。

本を読む勉強が嫌いな人に、念仏を唱えるだけでいいという教えは取り入れやすいです。

なにが自分にフィットするか、探してうろうろしてもいいんだと思うとホッとします。

 

禅の公案は難しい

禅の勉強をしようと思うと、漢字の難しさが壁になります。

解説した本を読んでも難しいです。

古文や漢文を今の高校生がどのくらい勉強しているかわかりませんが、

これからの若い人にはもっととりつきにくいでしょう。

詩吟をやっていたからわかる、という熟語もたくさん出てきます。

禅には昔から伝わる(定められた)公案があります。

禅問答とは、訳のわからない応えのない問答のたとえに使われるほど難しいです。

これさえ考えていれば修行ができる、悟りにいたるという方法がいつまで続くのか、

禅僧のかたがたにも危機感があると思います。

 

 

カキタヨガとしてブログ

私は難しい本を読み進むのが難しいです。

座禅でも雑念がわいてしまって集中が難しいです。

ヨガのプログラムも、なかなか毎日続いていません。

 

そんな私が難しくなく続けられているのは、ブログを書いていることです。

これはヨガの先生うちこさんが、アウトプットの重要性を教えて下さったからです。

アサナだけでなくヨガはいろいろあります。

呼吸法とか瞑想もヨガですが、「カキタヨガ」といって書くこともヨガの一種なんです。

私にとって毎日のようにブログを書くことは、ヨガの実践です。

できていることが少ないのですが、この一つだけでも大切に続けようと思います。

 

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