70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

一期一会 もうこの部屋には戻れないかもしれない

股関節骨折

今月初旬、義兄が股関節骨折で入院しました。

朝方起きて部屋の段差で転んだのです。

78歳で脳梗塞の後遺症で失語症があり、

誤嚥性肺炎での入院歴もあります。

 

いったんは手術と決まったのですが、

発熱して手術は中止となり、療養型の病院に入院することに。

 

期待と落胆

その間姉は期待と落胆の繰り返しのようでした。

手術しないともう歩けなくなるという事態に不安でいっぱい。

そのうち、手術してリハビリすれば家に帰れるかと期待。

手術できないことに落胆。

療養型の病院探しと口コミ情報の収集に奔走。

療養病院ではコロナの関係で付き添いは許されず、

五分間のタブレット越しの面会だそうです。

面会予約は込んでいて、入院後面会できるのは三週間後だそうです。

病院の方達が親切なのは幸いで、

洗濯物を届けるときに様子を聞くことはできます。

 

一期一会

義兄は前夜眠りについたときは、こんな事態になるとは思わなかったはず。

それが、救急車で運ばれ手術待ち、療養病院への転院。

もう自宅に戻ることはないかもしれません。

それを思うと胸が苦しくなります。

 

誰の言葉だったでしょうか、

「毎朝目が覚めると、涙ができるほど感激する」

私も朝目が覚めたとき、

「新しい一日がまた始まる」

というだけで、嬉しい気持ちになります。

インド哲学では,眠るとは死ぬことと同じで

朝起きたとき、また新しく生き直すことができるとあります。

 

コロナ禍で

コロナの感染拡大で、人々が不安になるのは

なんの不安もなく続くと思っていた「普通の生活」が

頼りなく壊されてしまったからだと思います。

かかったら「死ぬかも」という恐怖もありました。

今は最初の頃より、そういう気持ちが薄れてしまったかもしれませんが

払拭されずじわじわと心を蝕んで、心身を弱らせている恐れがあります。

 

義兄の入院で思ったこと、

「もうこの部屋には戻ってこられないかも」

は誰にでも起こりうることです。

コロナがあってもなくてもそれは同じです。

だから、過度にコロナを怖がることはないです。

ちょっと広いところに行けば、新鮮な空気はたくさんあります!

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真実は同じ

一日一日を大切に生きる、

悔いないように生きる、

それは同じ真実です。

2500年以上前お釈迦様が説いたように、

そして仏教の各宗派も説いていたように、

断捨離の「いま・ここ」も同じです。

どれが自分にフィットする言葉かは人によって違うでしょう。

どれでもいいので、一日を大切に

自分もまわりの人も笑顔になるような心がけが大切です。