70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

師と思える人 振り返ってみるとそこには本がありました

ヘッセの『シッダールタ』

私がはてなブログに移ったのは、うちこさんのブログをずっと読み続けていたからです。

私にとって(たぶん)20歳以上若い方です。

ブログを書くとき、自分の気持ちを立て直すとき、うちこさんの言葉をよく思い出します。

人におもねるような気持ちを持った時、いけないいけないと思い直します。

 

最近のブログで『シッダールタ』を取り上げていて、

「ああ、私はいつもこのことを探って生きてきたんだなぁ」と感じました。

 

uchikoyoga.hatenablog.com

ヘッセでは『デミアン』『ペーター・カーメンチント』『荒野のオオカミ』『知と愛』などが、高校生時代の心の友でした。

 

今でも心の中心の部分は変わらず、同じようなことに心が動きます。

 

ヨガも仏教も同じ道

子どものころからヨガは健康法の一つとして身近にありました。

ヘッセも東洋思想の研究をして瞑想などを取り入れています。

断捨離がヨガの哲学からきていることが、私にとって納得し魅力的に思えた一因です。

すべてのことが、同じ一本の大木につながっている様です。

そのまわりをうろうろしている小人がわたしってところでしょうか。

枝のあちらこちらにとまって、小枝をくわえる小鳥のような。

 

いつかは大木と同化して、安寧を得ることになるのでしょうか。

 

今実利的には

今の生活では、勝間和代さんのメルマガを読み、アクションプランナーの手帳を使い・・と考えると、

はてなブログで読んでの知識がたくさんです。

そのほかYoutubeのたくさんの動画で、「知恵」をシェアしてもらっています。

ひとくくりに、ネットのおかげともいえます。

ネット以外の周りの人からも、たくさん助けてもらっています。

 

そんな風に考えていくと、じぶんの周りのすべてが「師」ともいえます。

 

そして、唯識論的に考えるとそのすべてが自分から生じている、つまり自分と同じということになるわけです。

 

本が好きだからいつまでも

現実的に人に出会うには限りがあります。

できる限りライブをと思う私ですが、金銭的物理的制約があります。

振り返ってみて、本は偉大です。

大きな影響を与え、いつでもまた手に取り再生できるのですから。

読み返すたびに新しい感情に出会い、深い理解も生まれます。

時々は、読んだことを忘れての再読もあるのですが・・・

 

今自分が音訳のボランティアをしようと思った動機には、本への愛があると思います。

自分が本が好きだから、目を悪くして本を読めなくなった方の手助けをしたいのです。

いつか自分も本が読めなくなったとき、耳からも読書ができたらと思います。

本を読む技術を身に着けて、自分のための「聞く本」をこつこつと作っていこうとも思っています。

 

手始めは、『シッダールタ』でもいいですね。

そのためにはもっと読みの技術を高めたいです。

 

今日の録音でも、たくさん直されましたが進歩してきたとほめられました!!