70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

吉本隆明三昧 本からYouTube そしてよしもとばなな

対談集

吉本隆明北山修の対談集を繰り返し読んでいます。

1993年に二人は3度にわたる対談をしています。 

こころから言葉へ

こころから言葉へ

 

 二人とも有名ですが、全然別の分野での活躍した方だと思っていたので意外な組み合わせでした。

吉本隆明は思想家、北山修はフォーク活動のあと精神分析のお医者さんになりました。

どちらにも関心があったので読んでみました。

 

もう少しポピュラーな対談かと思ったのですが、難しい内容でした。

北山修さんは、精神科の臨床医であり今は研究者として、現代に生きる人間を分析しています。

大学の退官記念講義をテレビで見た時も、難しいこと言っているなぁと思ったことを思い出しました。

 

吉本隆明と青春

「よしもとりゅうめい」という名前は、私にとって特別な響きを持っています。

60年安保闘争の精神的イデオローグで、先頭に立って活動もした方です。

高校生の時、友達からその存在を教えてもらって詩集を購入しました。

「固有時との対話」だったと思います。

 

難しい言葉が羅列してあるとも思いましたが、心に響きました。

こんな言葉の使い方があるんだと、驚きました。

漢字がたくさんだったことくらいしか、今は覚えていません。

でも、私の考え方に大きな影響を与えたと思っています。

 

数年前まで手元に置いてありました。

さすがに紙面が黄色くなり老眼には読むのが難しいだろうと、処分しました。

難しいことも考えていた、青春の思い出です。

 

今になってもう一度

お二人とも、人間とは、言語とは、真実とは、善と悪とは、と真剣に語りあいます。

北山:人間と言うものは矛盾に直面したときに、それをさらに分裂させて笑ってしまうという場合と、矛盾を自分のものとして取り入れて落ち込んでしまう場合があります。

 

吉本:政治組織でも宗教組織でも、どうやったら自己解体できるかと言う筋道を作っていくいなければ、全部ダメだと思うわけです。一生懸命やるのはいいけれども、どうやったらそこから抜けられるか、その筋道がないシステムはダメだと思います。

「 大衆」とか「生まれたままの無防備な存在」が、いかに大きな意味を持っているかが共通の認識のように思いました。

 

ネットで遊ぶ

本を読む合間に、ネットで吉本隆明のことを調べてみました。

YouYubeでは、NHKで特集された「知の巨人たち」シリーズを見ることができました。

5時間を超える番組は見応えがありました。

他の対談や講演の映像も、今なら少し理解できます。

以前は口調のたどたどしさに不満がありましたが、言葉を大切にしているからこそなのだと今は思います。

 

ネットでは家族のことも出てきます。

私たちの年代は吉本隆明の恋愛にも関心がありました。

「あの吉本が、苦しい三角関係に陥り相手の女性は既婚者!!」

というのが、ショックだったのを覚えています。

その夫妻の子供が、よしもとばななさん。

ネットの噂話をどんどん読んで、よしもとばななさんのブログまで読み進むことに。

 

一日を吉本三昧に過ごしました。

ネット遊びです。

いい世の中になったものです。

 

でも、この世の中がよくなっているかどうか、本当はどうなのかしら。

本の中でも、タブーがなくなると他のタブーを見つけ出すと書いてありました。

人間は外の苦難がなくなると、自分の内側に苦難を作り出してしまいがちなんですって。

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我が家の近くのおおきな観音様。おだやかな良いお顔です。