ついでと思う怠惰
暑い日が続き、朝からそうめんを茹でようと思いました。
大量のお湯を沸かす必要がありますが、ホットクックなら簡単ではと考えたのです。
一袋300gでは足りません。
400g位と思ったのですが、この際と2袋600を一度に茹でました。
その怠惰で大ざっぱな気持ちで失敗しました。
いくらホットクックでも
ホットクックは鍋より少しの湯で調理できますし、なによりかき混ぜユニットがあって調理中かき混ぜてくれます。
それを過信していました。
できあがりは、下の方のそうめんが固まっています。
そうめんを湯に投入するときのかき混ぜが足りなかったのもありますが、麺の量が多すぎました。
*蓋を開けたら蓋の混ぜ技ユニットにそうめんが一本くっついています。下の方は束になってくっついている。
食感も不合格
大量の冷水で洗い、氷で締めました。
くっついている麺もなんとかほぐして、見た目はなんとか挽回できました。
でも、食べてみたら、、、、つるつるの食感がなくもちもちしています。
湯の量があまりにすくなかったせいです。
始末
おいしくない大量の麺の処理に、気持ちが落ち込むばかりです。
にゅうめんにしようかとか、やきそうめんではどうかとメニューを考えます。
結局お隣にも分けて、それでも残ったものを冷蔵庫に入れて夕食でも食べてもらいました。
私は、夜のヨガ練習に行ってしまい、家族が食べてくれたので感謝です。
おいしくなかったはずです。
こわくてどうだった?と聞くこともできないです。
家族に申し訳ない。
反省
大量に作るのはやめます。
手間を惜しむのをやめます。
できたてを適量食べることが体にもいいから。
おかずでも、作り置きをちょっと心配しながら食べることがあります。
食べ物が傷みやすいこの時期、手間を惜しんで大量に作るのはよくないことを肝に銘じます。
断食できると
どうして粗雑に大量に作ってしまうかを考えてみました。
ヨガでは、意識を細かく使うことを学んでいるので。
まず一番は時間を節約したくて、後から楽をしたくて、大量に作ります
それと、用意した料理が足りないと自分が我慢することになります。
それがいやなので、たくさん作ってしまいがちです。
自分の食欲を充たされないことの、恐れと不満もあることに気がつきます。
ヘッセの『シッタールダ』で主人公のシッタールダが沙門から還俗したとき遊女カマーラに
「あなたは何ができますか」と聞かれたとき
「私は考えることができます。待つことができます。断食することができます。」と答えました。
断食できることはいいことです。
足りなかったら食べなくてもいいと思えたら、心は平安です。
自分の分が足りなくても、家族が満足してくれたらうれしいと思えたら、粗雑に大量に作るようにはならないでしょう。
そうめんの大量調理で、自分の心の至らなさをヨガ的に考えてみました。
こんなふうに客観的に見ることができて、これもヨガのおかげ、純子先生の言われる「ヨガの妙味」なんだと楽しくなりました。