70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

【イス座禅】臨済録講話 「病は不自信の処に在り」の解説を心に刻んで

臨済録

取り上げた禅語は

「病は不自信の処に在り」

これだけではわかりません。

病気は気弱になるからだという意味ではないです。

 

以下南嶺管長のお話をメモしました。

この場合の「病」とは

欠点のこと。

修行しても上手くいかない欠点は、自らを信じ切れないから。

では、何を信じるか。

「自身是れ仏、此の心即ち是れ仏心」

ということを信じ切れていない。

明日が来ることは信じているから安心して夜休むことができる。

でも自分の仏心は信じ切れない。

信じる能力が偏っていることを見いだすために、座禅をする。

 

私たちは普段正しい判断をしていない。

自分中心の考え方しかしていない。

この自分中心で競争したり妬んだりして「苦」が生まれる。

自分中心を否定するのが禅の目的。

 

仏心とは

誰にも本来備わっている仏心とは

智慧と慈悲です。

 智慧=正しい判断

 慈悲=相手の立場になって物事を見る

 

仏教では

「信」=客観的知的理解に基づく信頼

妄想、盲目的に信じるのではない。

 

誰にも備わっている仏心を、

気づかず発揮できないでいる。

本を読んでわかったつもりではダメ

「言葉の上の響きの良さだけで、生きた祖仏の心は絶対つかめぬ」

どれだけ実践し、仏心を現実に発揮するかで違ってくる。

同じ可能性を持ちながら発揮できないのは、

自分自身を信じ切れないからだ。

 

信じるへのプロセス

本を読んだり法話、講話を聞くだけで信じることはできない。

つまり禅は日常正解で実践することが繰り返しと枯れます。

今回の講話でそのプロセスを簡潔に示されました。

 

理解→感動→意欲→確信

 

この中の意欲のところが実践になると思います。

いいなって思ったことを日常に実践することで

確信になり自分の軸にもなるのでしょう。

 

たんにためになる情報を集めるだけでは、

最初の理解のところでとどまっています。

 

私が確信していること、どれくらいあるのかしら。

お彼岸を自然は忘れない