70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

風土と宗教について 本質的には同じという南嶺管長

寛容

南嶺管長の法話にはキリスト教も浄土宗も出てきます。

真の宗教の本質は同じではなかろうかと何度もおっしゃっています。

 

仏教、特に臨済宗は他の宗教・宗派にたいして「わけへだてない」

寛容さがあります。

それは「分別」しない、善悪をきめつけず正義を固定化しないという教義からきているのでしょう。

 

インド哲学と仏教

インド哲学の流れから仏教が生まれ、中国から日本へと伝わるうちに変化していきました。

中国では道教とかの影響を受け、日本では神道の影響を受けました。

難しい学問や厳しい修行ができない人のためにも変質(?)しました。

インド哲学・(お釈迦様の)原始仏教・日本の仏教と私の周りに色々あります。

どれを信じているか、自分でもよくわかりません。

 

風土

奄美出身の知人がいます。

都営住宅で事故物件(病死など)の募集があると話題になったとき、

「そんなとこ、怖くてとっても駄目」と真剣に言いました。

奄美の方々は祖先の魂の存在を信じているのです。

毎日のようにお祈りし、声にだして祖先とお話をするのを思い出しました。

そのような風土に育った人は、不幸な魂のいるところには生理的に住めません。

信仰のない家に育った私は、神様を信じることができません。

今まで変質してしまった日本の仏教より、本来のお釈迦様の教えとかインド哲学の叡智のほうがいいように思っていました。

でも、日本で今の仏教が信じられている、日本人に取り入れやすいように変わってきたことにも必然性があったのだろうと思うようになりました。

八百万の神がいると感じている日本人に、神様が姿を色々に変えて手を差し伸べてくれているという教えが受け入れやすかったのでは。

 

自分で探す

臨済の教えで「随所に主となれば立処皆真なり」とあります。

主体性を確立して自在に活発に生き、行動することです。

禅では師の教えさえも、素直に受け取るより反発することが求められるなんて初めて知りました。

何が正しいか、どう生きたらいいのか、学びながら考えながらの道が続くのだと思います。

五木寛之さんが養生論の中でその年の追求する課題(睡眠・呼吸法・歩行とか)を決めるとありました。

私の今年の学ぶテーマは「日本の仏教」にしようかしら。

円覚寺須磨寺にご縁をいただいているから。

コロナで外には出られない状況、日本の宗教を考えたいと思います。

(関係ないかな??)

ヨガも佐保田先生が始められたヨーガ禅ですしね。

 

ヨガとかインド哲学は異国情緒もあって、かっこいい。

日本の宗教はダサいって思っていたかも。

ヨーガ禅道話

ヨーガ禅道話

 

 健康ヨーガ

今日は午前中健康ヨーガ、午後は図書館で録音。

お昼はおいしいパンを買って、録音室で私の声を聞きながらかじりました。

ヨーガの会場までサッサと歩いて35分。

いつもは車か自転車なのですが今日はがんばって歩くことに。

コロナが収まって北鎌倉を歩くようになったら、もっとたくさん歩くんだからと思ったら、北風が吹いてもずんずん歩くことができました。

ヨーガ中も自分の身体に集中して、呼吸を深めるよう意識。

録音では先に進むことより、今までのを聴き直して修正に時間をかけました。

ゆっくり自分のペースです。

キリッとした充実した一日でした。

 

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最近作っているマスクケース

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中に仕切りがあって複数入ります