70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

無知とか無明で凹んでいたけど そこからが出発だと思い直して

無宗教

私はお墓もお仏壇もない家で育ちました。

両親はお墓参りにはあまり熱心でなかったように思います。

それぞれの実家にはお墓もあったのですが、

一緒に行ったのは数回あるかないかしか記憶にありません。

お墓参りを強要する人もいなかったのです。

宗教的なイベントはありませんでした。

法事というのも記憶にありません。

本当にお葬式の時だけ仏式でした。

 

お葬式でお坊さんに高額のお布施をするのがイヤで、

父親は自分は「神道」でお葬式をしてくれと言い残しました。

そんな「にわか神道」なので、神道のしきたりも知らないままの家族でした。

仏壇も要らなくていいよねと思っていたら、

神棚がいることになって急きょ作ったくらいです。

 

お墓参り

だから神道では墓前に「さかき」を供えることは知っていましたが、

お線香はいらないとか、二礼二拍手一礼の参拝方法も知らなかったです。

 

夫の実家のお墓もあるのですが墓石には

「天は自ら助くるものを助く」という聖書の言葉が刻まれています。

その前でお線香を焚くのもおかしいです。

納骨されている人は義父とその3人の奥さんです。

それぞれ病死で時期が重なっているのではないのですが

お墓の中で仲良くしているとは、どうしても想像できません。

一人は熱心な仏教徒で義母はクリスチャン。

わたしがその中に納骨して欲しいとは思っていません。

 

死んだ後どうなるのか、

良くわからないし考えようとしていません。

 

定義できなかった

孫たちとのお墓参りで

奥津城(おくつき)って書いてあるのは神道のお墓のこと」

なんて説明したのですが、

仏教と神道はどう違うのかと質問されて上手く説明できなかったです。

ユダヤ教キリスト教イスラム教も元をたどれば同じ神様で・・・

仏教はそういう神様はいなくてお釈迦様が・・・

神道は昔から日本では自然のいろいろに全部神様がいたと考えて・・・

 

今までたくさん本を読んだり動画を見たりしても、

端的に違いを説明できなかったのです。

「どうして神道は教がつかないの?」といわれて「・・・」

 

自分の知識のなさ、知識の曖昧さに凹んでいました。

親とか先祖のことを大事に思えない自分にも凹みます。

 

無明から始まる

この二,三日南嶺管長や小池陽人さんの法話を聞き続けて、

気持ちを立て直すことができてきました。

今回のお墓参りを含めた家族旅行で自分に出会えて良かったのだということです。

コロナ感染以後家族や親族ともあまり密な付き合いができなかったのですが、

道中の車の中、故郷での対面での食事会などでたくさんしゃべりました。

コロナがこういう時間を人々から奪っていたんです。

 

病院や介護施設で面会を制限された中でなくなった方がたくさんいます。

入院や手術、分娩までも家族のお見舞いや応援なしです。

人とのかかわりで得ることができるエネルギーとか愛情を

得ることができない現状は悲しいことです。

 

人と会ったり話したりすることで自分の姿を改めて認識することができます。

そこで出会った自分が無明だとしたら、それを認識できたことが一歩前進です。

おごる気持ちがなくなり、仏性に一段近づいたと思えば良いのです。

(私は仏教徒?それについても自分で答えは出ていない)

日常と違う行動、環境の中で気づくことたくさんです。

 

ITサロンと指導者養成講習会をお休みすることになるので迷ったのですが、

この貴重なタイミングを逃さないでよかったです。

娘の運転でそれもドキドキ