70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

宗教とカルト問題 誰でもおちいる可能性はあります お金がかかわる問題

カルト問題

南嶺管長も宗教とカルトの問題については何度も管長日記で取り上げています。

生活に困るほどの献金、抜けたいと思う人を監禁することなどを批判します。

難しい問題です。

カルト批判が大きく宗教批判になってしまうのを案じています。

オウム真理教の事件の後も宗教批判が伝統仏教界へも大きな影響を及ばしたからでしょう。

最近NHKの宗教の時間でも、カルト問題が取り上げられました。

 

旅で出会った人から聞いた話

熊野と高野山旅行ではたくさんの社寺を巡り、

同じツアーで知り合った方とお話もしました。

その中で御朱印を集めていることが話題になりました。

私は物にはこだわりたくないので集めませんが、

御朱印集めが楽しみだったり目的だったりする方が多いです。

 

四国八十八ケ所を巡って高野山にお礼参りをすると満願になるそうです

その時記念品を買う(授与される?)システムがあって、

記念品は色々あって、中には30万とかするそうです。

死んだ時にお棺の中に入れてもらいたいと

いっていたそうです。

それって統一教会の高額献金と変わりがなくなります。

買った人の心がやすまれば、それもいいってことなんでしょうか。

 

最近見た高野山関係の動画の中で納骨堂の販売があること、

それには100万円などの値段がついていました。

原価という問題ではなく全て心の持ちようです。

 

立派な伽藍を素晴らしいと誉めるなら、

新興宗教が大きな聖堂なんかを立てているのも、

批判できないのではないかと思ったりします。

時が流れて歴史的建造物になるかもしれません。

 

批判すべきは

現在問題になっている新新宗教創始者が大きな建物を建てるためにお布施を集めて、

その一部を私的に流用して贅沢三昧している実態に目を向けるべきなんでしょうね。

 

私の理解ではざっくり

伝統宗教  神道 仏教 キリスト教の歴史的に古くから活動する宗派

新宗教  創価学会 立正佼成会など

新宗教 統一教会 幸福の科学など

 

お布施や寄進の金額はたくさん持っている人と貧しい人では変わります。

金額の多寡で現世や来世の幸福を約束するというのがいけないのでしょうか?

でもインドやタイでは来世の幸福を求めてたくさんお布施をすると聞きます。

だから自分のためにこぞってお布施をするのだと。

自分が飢えるほどのお布施をするのを「カルト」と規定もできません。

多分ですが、

信仰のために家や家族を捨てるのを美談とする逸話は伝統宗教側にもあるのでは。

親の嘆きを振り捨てて出家したのは弘法大師もそうです。

 

高野山

ツアーで回ってからは、次回は自分一人でゆっくり滞在しようと思っていました。

でも宿坊の料金って思ったより高いってことがわかりました。

素晴らしいお庭があったり歴史的建造物に泊まれるんだから、

高くっても仕方ないのかしら。

何度でも高野山参りをすることで御利益があるとするなら、

教祖の講話をたくさん聞けば聞くほど

本をたくさん買えば買うほどいいと言っている、

新宗教と同じこととも言えます。

別に高野山に行かなくてもいいんじゃない、

近場の鎌倉に行ってもいいのでは、という気持ちになってきました。

私は空海さんがそんなに好きでないのですし。

 

自分の住んでいる所をパワースポットにすればいい、

という断捨離のやましたさんの言葉を思い出します。

 

南嶺管長

毎日の管長日記では他の宗教のこともよく出てきます。

禅の他の宗派の方とも交流し、念仏の宗派にも心を寄せています。

道を求める、衆生を救う、という共通の理念を持つ人への尊敬の気持ちを

隠さず、「感激しました」とお話ししています。

孤高の禅僧としてでなく、社会に目を向けて生き生きと感じ

古今の教えをを学んで考えを深くしている人間味を感じます。

それを惜しげなく社会に還元するのを使命としているよう思います。

 

お寺や大学のトップとしてお金のことも無視できないでしょうけど、

ご自分の高潔な生き方を貫く姿勢が私たちの心を打ちます。

管長日記 最近はカトリック枢機卿との出会い