70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

『読み解き「般若心経」』伊藤比呂美 著 心軽く死ぬことが出来るように

一人娘が親を看取る

伊藤比呂美さんは一人娘で、カリフォルニア在住です。

年老いた親をアメリカと日本を頻繁に往復して介護しました。

親以外にも死に直面した人たちと関わることが多かったようです。

 

昔の人は、四十や五十でかんたんに死んでいった。それがどうして、今の世は、こしてだらだらと、死ぬに死ねず、植物のようにゆるやかに死んでいかなければならないか。

と死について考えます。

お経と仏教書を読みあさります。

説経節に惹かれたのもこのころなのかしら。

むかしから人が読んでいるというお経を理解さえすれば、死に向かう気持ちになるのかと思って、お経の解説書をいろいろと読んでみた。

そして彼女自身の言葉でお経や説教節を「読み解き」「現代語訳」したのです。

あたしがさんざん愛されて、あたしもさんざんかかわってきたこの人々が、いままさに死に向かおうとしているのに、手段を知らない。中有に浮いているような父や母を、それから伯母を、浮いたままでいいから、きちんと死の向こう側に送り届けるためには、どうしたらいいのか。

しかし比呂美さんの両親も夫も信仰心はない。

彼女自身も仏教の本を読み、お経の研究をしても、だからと言って仏教に帰依するわけでもないのです。

 

お経の中に人間の生き方の原理を見て、それに心動かされていきます。

自分の心に響く言葉だけを取り出して、それに自分で血肉をつけて作品にして発表する。

そうやって心を癒しながら、経済的にも成り立つように動き続けています。

 

母の姉妹たちやその子供、著者の従兄弟達に助けられながら遠距離介護を続けたエネルギー、

一人娘だったから担った介護を娘達にはさせたくないと書いてあります。

 

でも娘たちもいずれ同じような気持ちで同じような行動をするのではと予想しています。

 

父の幸福な死

わたしの父は老衰状態で入院するまでは家で暮らしていました。

子供達4人の手伝いで、不自由のない暮らしだったのではないでしょうか。

遠くに住んていたわたしは年に何度か帰省し、

ちょっと手伝いをしては電車賃をもらっていました。

足腰が弱くなり入院し、わたしが看病のため帰省して泊まり込んだ最初の夜に亡くなりました。

苦しむこともなく、眠っているのかわからなくて看護師さんを呼び

「なんだか死んでいるみたい」と確かめてもらったくらい穏やかな死。

昼間はわたしの手作りの梅干しを食べ、他の兄弟が持って行った鰻弁当を食べかけ、

鰻と梅干しの食べ合わせに気づいて、

「大変なことをしてしまった」

「鰻は明日にしよう」

と集まった家族で笑ったのが最後の会話になりました。

仏教とかお坊さんが大嫌いな父は、

戒名代とかお布施を出したくなくて

「葬式は神道でやってくれ」が遺言でした。

そんな肉親の死を見ている私は、

死に対しても冷めた感じを持っています。

死ぬときがきたら、自然に死ねるんじゃないのかと。

 

そうではない

そんな簡単に死ねないのよ、というのが比呂美さんの本です。

以前読んだ『たそがれてゆく子さん』では、

手足や内臓に機械がはめ込まれたサイボーグのような夫、

たくさんの薬で生きながらえて「死を拒否」しているかのような夫が描かれています。

 

比呂美さんのお母さんは、認知症が進み寝たきりの状態で3年くらい入院。

その後、

妻が死んだら自分も死のうと思っていた父親の独居での暮らしを、

遠距離介護で比呂美さんが支えました。

 

誰も彼も簡単には死んでくれないのです。

その死を迎えるまでの長い期間を、

どうか心安らかでいて欲しい、

心軽く向こう側にいって欲しいと強く願います。

そうでないと、看取る自分も辛いのです。

 

仏教とは

比呂美さんが読み解いた仏教はスピリチュアルなものでなく、

「人生訓、箴言集、自己啓発書」のようなものだと思わせます。

端的に言えば

「悪いことはするな、良いことをしなさい」

など人間としての原則を教えてくれているのです。

 

だから2500年たっても、世界に広く信仰され、西洋でも今見直されているのです。

 

伊藤比呂美さんも仏教の懐深さを世に知らしめたお一人といえそうです。

読み解きにはお嬢さんのカノコさんも参加されています。

現代語訳しにくい部分は、英語ではこう訳すという単語が併記されて理解の助けになります。