隕石衝突
あと1ヶ月後に隕石が地球に衝突する、人類のほとんどが滅亡するだろうというシチュエーション。
いじめられっ子の男子高校生友樹と小学校からの憧れ美少女。
友樹の母親は元ヤンキー、友樹が生まれる前に別れた父親はチンピラ。
普通の生活が続いていたらバラバラだった四人が、
「滅亡」を前に寄り添って力を合わせる生活をすることになります。
暴力性
父親と母親はそれぞれ暴力が日常の中で育ち、暴力性を身体の中に持っています。
人類の滅亡を前にして、普通だった人々も自分の中の暴力性を発現させます。
不安が怒りを生じさせ、もう世間体は関係ないという状況で暴力に訴えるようになるのです。
残り1ヶ月という宣告を受けて、地球より先に人間が壊れ始めている。長い時間をかけて作ってきた法も、常識も、道徳心も、安物のメッキみたいにばりばりと剥がされていく。
-----ぼくたちって、実はこんな生き物だったのか。
「買いもの」ではなく、「略奪」になります。
略奪しなければ、生きる糧を得ることができません。
でも、ネット環境を守るエンジニアや交通インフラを守る人など、
誰かの役に立つことで、滅亡を前にした状況を生きる支えにしている人たちも。
暴力に耐性のある人たちはこういう場面では強いです。
私ならどんなふるまいをするか、
かなり生き抜く力弱いです。
同じ日の管長日記
ここで紹介されている坂村真民さんの詩「バスの中で」
混み合ったバスの中で少女がお花を高々と持ち上げているお話です。
たとえ核戦争で、この地球が破壊されようとそのぎりぎりの時まで、こうした愛を失わずにゆこうと涙ぐましいまで清められるものを感じたと詠われます。
そして南嶺管長は
私たちはこの世がたとえどうなろうとその最後まで一輪の花を愛する心を失ってはなりません。 花はもろいものです。無常です。朝咲く花が夕方にはしぼんでしまうものもございます。けれでもその無常なればこそ、その時その場で精いっぱい咲きます。本当に無我です。誰が見ていようが見ていまいが、その場で与えられた日の光、大地の養分を一杯に吸って精いっぱい咲きます。 無常であり無我であればこそ、お互い慈しみ、支え合う心が大事です。
こんなきれい事のような気持ちになれるかしら?
そう思いながらも、
人類の滅亡が目の前になったとき、
暴力でもって生き抜くこともできないと絶望したとき、
「今を生きる」という言葉が助けになるのかもしれません。
人を許すこと
物語の中では「正義」と「悪」について、さまざまな角度で語られます。
絶対の正義はありません。
愛されていないと思っていた家族が、実際は深く思いやってくれていること。
気がつかないでいたことがあらわになったり、
心の奥底までどんどん観察していくようすが克明に描かれます。
過去に友樹に意地悪をした事を謝る少女に母親が
「自分が誰かを傷つけたことなんて忘れたいだろ。けどずっと覚えててくれて謝ってくれた」間違わないやつなんていない。それを許しすぎても、許さなさすぎても駄目になる。
人に謝らないこと、人を許さないこと、
表裏一体かもしれない。
この固い心を柔らかくすることが、毎日を楽しく過ごすために身につけたい。
おもしろくて一気に読みました。
読後感もいいです。