70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

柔和な中に気骨がある禅僧 ただほほえんでいるのではない 衆生への愛

八月に思う

この八月はオリンピックとパラリンピックとコロナで大騒ぎのうちに過ぎようとしています。

もっと戦争のこと、日本が負けた戦争のことを思い返す必要があったと思います。

 

今アフガンで起きていることも、遠い国のことではありません。

日本の自衛隊の飛行機もこれから飛んでいくのですから。

 

円覚寺の南嶺管長の「管長日記と呼吸瞑想」を聞いています。

つい私たちが忘れがちなことに気づかされる事がたくさんあります。

 

伝統的な組織の長という立場ですが、言葉の端々には大きな権力に対して毅然と立ち向かう気概が感じられます。

大きな犠牲を払った戦争に対する反省がないこと、

被害者だけでなく加害者でもあったことなどです。

 

笑顔を基本としてらっしゃる

管長さんは口角が上がっていて微笑みを絶やさず、

「わたくしなぞは・・・」といつも謙虚な姿勢を崩しません。

でも、庶民(衆生)を苦しめる権力には穏やかだけどきっぱりと「喝」を唱えます。

こんなお話にそれを感じました。  

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円覚寺のHPにはテキストが載っています。

新しい国立競技場を作るために立ち退かれた方々がたくさんいたそうです。

 

立ち退きを余儀なくされた方に、五輪の開催をどう思うかと尋ねたところ、「弱い人間だから、と自分に言い聞かせている」というのでした。 齋藤さんは、「もっと怒りの言葉が出てくることを予想していた」と言います。 その方を「そこまで打ちのめしたオリンピックを恨んだ」と書かれていますが多くの人は、そのようにして現実を受け入れて暮らしているのでしょう。 それにしても「オリンピックは勝負の世界。負けたものはダメ、クズ。ホームレス、障がい者、老人、弱いものは追い出されるのさ」と語られた言葉は悲しいものであります

 

金メダルに騒いでいる人々の影に、こういう方々がいることを忘れてはいけません。

管長さんはもちろん、金メダルを取った方々の努力をたたえた後に、

このように苦言を 呈しているのです。

齋藤さんは、「祭り騒ぎに便乗して納税者に負担を押し付けながら、政府の大型支出により特定の企業が潤う」ことを懸念されています。

新聞の記事を引用しながら、ご自身の懸念をも書いているのです。

 

炎上騒ぎを起こしているメンタリストさんのことも、

直接名前を出して取り上げるのではなく、

弱いものや影になっているものへの思いやりの大切さを説いています。

お金や学歴地位のあるなしにかかわらず、人は皆同じように尊いのです。

管長さんは少年の頃「死」の問題に直面し、生きることの意味に悩み考えました。

そこで分け隔てなく万物を大切に思う「仏の慈悲・衆生への愛」に魅力を感じ、

座禅の道を進もうと決心されたのです。

 

ただただニコニコしているのではなく、

苦しんでいる人の側に立って苦しみから救いたい、

という願いが気骨になっているのだと思います。

 

この夏も特別な夏になりそうです。

アフガンではタリバンが勝ち、アメリカが負けたのでしょうか?

戦争をして勝ち負けが決まるのでしょうか?

アフガンの女性や少女達のことが本当に心配です。