刻苦光明
円覚寺の南嶺管長が前管長から頂いた言葉です。
厳しい修行が続いたとき、
「苦しいときは幸せの種をまいていると思えば良い」
刻苦すれば必ず光明があるがあるというのです。
刻苦光明は白隠禅師が「古人刻苦光明必ず盛大なり」と唱えて修行した処から来ています。
つまり図にすると
酷く苦しいことの向こうに、やがてどこかから光が見えてくるのだろうということです。
南嶺管長はこのごろ、この矢印がイコールではないかと思うようになったそうです。
この苦しさに堪えている姿こそ、光輝く姿ではないかと。
「堪えている時こそが幸せのただ中だったのだ」
生・病・老・死と人は一生「苦」から逃れられないのだとしたら、
「苦」に堪えている時にも幸せでなくては、人は幸せにはなれないですものね。
南嶺老師の今たどり着いた智慧、ありがたく拝聴しました。
花園大学公開講座 「禅とこころ」 花園大学 総長 横田 南嶺 2018年12月18日(火)