70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

「苦しい時は幸せの種をまいている」から「苦しさに堪える時が幸せ」へ

刻苦光明

花園大学公開講座 2018年「禅とこころ」からです。

円覚寺の南嶺管長が前管長から頂いた言葉です。

厳しい修行が続いたとき、

「苦しいときは幸せの種をまいていると思えば良い」

刻苦すれば必ず光明があるがあるというのです。

刻苦光明は白隠禅師が「古人刻苦光明必ず盛大なり」と唱えて修行した処から来ています。

 

つまり図にすると

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 「←」から「=」に変わります

酷く苦しいことの向こうに、やがてどこかから光が見えてくるのだろうということです。

 

南嶺管長はこのごろ、この矢印がイコールではないかと思うようになったそうです。

この苦しさに堪えている姿こそ、光輝く姿ではないかと。

堪えている時こそが幸せのただ中だったのだ

 

生・病・老・死と人は一生「苦」から逃れられないのだとしたら、

「苦」に堪えている時にも幸せでなくては、人は幸せにはなれないですものね。

南嶺老師の今たどり着いた智慧、ありがたく拝聴しました。


花園大学公開講座 「禅とこころ」 花園大学 総長 横田 南嶺 2018年12月18日(火)