真剣な禅問答
松本紹圭さんと南嶺管長との対談はにこやかな表情をしていても
真剣勝負のような内容です。
今までの先祖を祀るだけの宗教はどんどん衰退してしまう。
この数年で、お寺のほとんどが成り立っていかなくなるだろう。
という内容だからです。
松本さんが
「アマチュアのような僧侶が、これからは可能性がある」
といったとき私はびっくりしました。
12歳から座禅一筋に修行をしてきた南嶺さんの生き方を否定するような言葉だからです。
「そうかもしれない」と南嶺さんが口に出すことは、それを認めることにもなります。
松本さんも真剣に問い、南嶺さんも真剣にこれからも生き残る仏教を探っているのだと感じました。
二階建て論
松本さんのお寺二階建て論があります。
1階は先祖教といって今までのお寺のあり方で家単位の参加。
2階は生き方を求め、マインドフルネスに惹かれたり心を耕したいと個人で参加。
それらは参加する人が全く異なり交流もないという状態です。
私は2階の人に属するんでしょうね。
心は耕したいけど組織には組み込まれたくない、って人です。
1階の人はなんとか離れたい(墓じまいなど)と思っています。
お寺としては、なんとか2階の人を1階に来てもらいたいです。
講演会に来た人に最後に檀家になりませんか、と声かけをしたり振込用紙を配ったりするのですが、それが2階の人を遠ざけたりします。
ポストレリジョンについて
今までは、お経を読んでいれば、座禅をやっていれば僧侶は生活ができるとされていました。
これからはそうはいかない、その認識はお二人とも同じです。
閉塞感のあるこの現代に、仏教の智慧が役立つはずなのに
布教しようとすればするほど、人は離れてしまう問題があります。
松本さんに
「家業としてではない、かえってアマチュアの方が」と言われて、
長く専業でやってきた南嶺管長がどう思われたかしら。
でも、南嶺さんは伝統を壊してきた方です。
仏殿の公開、方丈の解放、写経会など一般に門戸を開く改革を
宗門の反対にも負けず進められた方です。
若い僧侶の方とこんなふうに公開で対談されているのもその一環です。
巨大な宗派もこんな風にもがいているのだと思いました。
私はその場に立ち会っているんだなぁ、と思い、身が引き締まる思いがします。
松本さんもたくさん本を書いています。