インドのことわざ
純子先生が教えて下さったインドのことわざです。
川の水はいつも流れていて、もう一度足を入れても同じ水ではありません。
そのように流れているから川の水はきれいだけど、湖の淀んだ水は腐ってしまうとも。
アサナの練習で、同じアサナをしていても毎回違うということです。
今の身体はどうかを子細に微細に観察します。
昨日と違います。朝と夕方でも違います。
伸び具合・呼吸の入り方・毎回違います。
その変化を発見するのが、ヨガの楽しみなのです。
『アイアンガーヨガ 完全マニュアル』にもこんな記述がありました。
この頃の練習
この頃のヨガセンターの練習は内容が変わりました。
呼吸に合わせて大きく身体を動かし、連続してのビンヤサ風の練習が多くなってきました。汗が出ます。
春になってきたから、活動的になり身体を動かすのかしら。
それとも、年度の終わりだから一年の最終段階としての動きなのかしらと考えていました。
先生にお聞きする機会があったので質問したところ、たくさん動くように練習法が変わったのだそうです。
純子先生が2月に1ヶ月インドのプーナにあるアイアンガーヨガの総本部で学んできたことを、私たちに伝えてくださっているのです。
ヨガの練習はいつも同じではなく、どんどん変わっていくことは、水の流れと同じなのでしょう。
数か月前、私が初めてセンターで体験したのは、ゆったりと、でも「思い切り」「精いっぱい」「できるほど」の伸ばしをすることでした。
壁に立ち、足先や膝の向き腰の向きを正しく保ちながら徐々にポーズをとっていくアサナが多かったのです。
アシュタンガ風の練習をしてきた私には、正確さを重視するのにちょっと苦手意識がありました。
動いたほうが楽しいと思っていました。
でも、ていねいに動いてこそ身体が変わっていくし、ケガもしない、ひざを故障している私にも効果的はヨガだなと思うようになりました。
膝もだんだん治って、ヴィラアサナで座ることもできるようになった今は、ジャンプだけはやめて他の人と同じメニューをこなせるようになりました。
練習方法は同じことの繰り返しではなく、変化し進化していくのです。
それと同時に私も変化に対応して、心の柔軟性が育っていきます。
ヨガセンターが生き物のように変化し進化しているのだと思った時、通っている私たち一人一人もヨガセンターという生物を構成している細胞みたいなものではないかと思いました。
そして細胞のそれぞれが生きているから、全体もダイナミックに力強くなるができます。生きているということは、とどまっていないで新陳代謝をしていることです。
インド哲学とヘッセ
インドの川のことわざで思い出した物語があります。
ヘルマン・ヘッセ作『シッダルタ』です。
何度も読んでいる私の大切な1冊です。
釈迦も出てくる苦行と悟り・解脱の物語ですが、最後のほうに登場する川の渡し守が大きな役割を持っています。
彼は「川に全てを学んだ」と主人公に語りかけます。
主人公も流れる川に過去も現在も未来も全部含まれていることを感じます。
川の流れには輪廻と解脱の秘密を解く鍵も暗示されています。
変化もしているけど、その一瞬に過去も含まれて時間が無くなるというような哲学が語られていました。
インドの川のことわざから、ヘッセとインド哲学の深い関係を思い出しました。
ヘッセは20年以上もインド哲学を研究していました。
個人の生きることの苦しさの解決をインド哲学に求めたし、大きくは世界平和への希望を見出したかったのだと思います。
どこか川を見に行きたくなりました。
頭の中で考えをこねくり回しているのではなく、自然の中に身を置いて客観視してみたくなりました。
春です。お出かけに良い季節になりました。