70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

一回りしてヨーガに戻ってきました 唯識は「瑜伽」の修行者から起こった思想

勉強

唯識の勉強を続けています。

パラパラ読んだとき少しも頭の中に入らなかったけど、

音読したりノートを取りながら読んでいます。

すると驚くようなことが書いてあるので驚きます。

 

虚無思想の危険性

ただ心だけが存在して、あらゆる存在は実体がない、

という大乗の思想は、

ともすると「一切は全く存在しない」という虚無主義に陥る危険があります。

 

このような誤解を防ぐために、特に「瑜伽」、現代で言うヨーガを行う人々から、

少なくとも「心」は存在するという思想が打ち立てられました。

このように、心の変革を通して迷いから悟りに至ろうとする<唯識>が起こったのです。

唯識の思想を信じ実践する人はヨーガの修行もすると言うのでしょうか。

ヨーガの哲学は唯識っていうこと?

 

唯識の勉強でヨーガが出てきて、

ここでまたヨーガのことを考えることになりました。

 

瞑想

ヨーガのアサナは瞑想で足を組むための準備体操といわれます。

それでは瞑想は何のためにするかというと、

心を静めて精神集中し、真理を究めるため、智慧を得るためです。

そのためには外界の刺激、情報を遮断することが必要になってきます。

情報を遮断し、心(頭?)が静まると見えてくるもの、

それは「いのち」だと横山紘一先生は書いています。

 

唯識の思考のプロセス

瞑想して突き詰めて考えた末の真理、

仏の智慧というのは

 

自分=無量無数の他の力によって存在する命のエネルギー体

 

自分とはたくさんの縁によってできた「いのち」

であることがわかると、

では次に、なぜ生きているのかを考えたとき、

 

「いのち」を他者のために使い切ろう=菩薩行

 

たくさんの不思議な縁で存在しているから、

人のために生きるべきだと考えるようになるというのです。

 

本にはこう書いてありますが、

瞑想をしっかりできない私には実感がありません。

 

瞑想をするための準備、身体作りのヨーガをする、

そこのところに一回して戻ってきたような感じです。

 

こんなに面白いことがつまっていたとは

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