勉強
唯識の勉強を続けています。
パラパラ読んだとき少しも頭の中に入らなかったけど、
音読したりノートを取りながら読んでいます。
すると驚くようなことが書いてあるので驚きます。
虚無思想の危険性
ただ心だけが存在して、あらゆる存在は実体がない、
という大乗の思想は、
ともすると「一切は全く存在しない」という虚無主義に陥る危険があります。
このような誤解を防ぐために、特に「瑜伽」、現代で言うヨーガを行う人々から、
少なくとも「心」は存在するという思想が打ち立てられました。
このように、心の変革を通して迷いから悟りに至ろうとする<唯識>が起こったのです。
唯識の思想を信じ実践する人はヨーガの修行もすると言うのでしょうか。
ヨーガの哲学は唯識っていうこと?
唯識の勉強でヨーガが出てきて、
ここでまたヨーガのことを考えることになりました。
瞑想
ヨーガのアサナは瞑想で足を組むための準備体操といわれます。
それでは瞑想は何のためにするかというと、
心を静めて精神集中し、真理を究めるため、智慧を得るためです。
そのためには外界の刺激、情報を遮断することが必要になってきます。
情報を遮断し、心(頭?)が静まると見えてくるもの、
それは「いのち」だと横山紘一先生は書いています。
唯識の思考のプロセス
瞑想して突き詰めて考えた末の真理、
仏の智慧というのは
自分=無量無数の他の力によって存在する命のエネルギー体
自分とはたくさんの縁によってできた「いのち」
であることがわかると、
では次に、なぜ生きているのかを考えたとき、
「いのち」を他者のために使い切ろう=菩薩行
たくさんの不思議な縁で存在しているから、
人のために生きるべきだと考えるようになるというのです。
本にはこう書いてありますが、
瞑想をしっかりできない私には実感がありません。
瞑想をするための準備、身体作りのヨーガをする、
そこのところに一回して戻ってきたような感じです。

