70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

『無人島の二人』山本文緒 著  死に向かう日常を追体験しているよう

マリコ書房で紹介

以前動画で林真理子さんが紹介されて読みたくなり、

図書館にリクエストしていたのが届きました。

図書館で借りてすぐに読み出し、

図書館のソファで一気に読み終えてしまいました。

そのくらい引き込まれました。

山本文緒さんの闘病記『無人島のふたり: 120日以上生きなくちゃ日記』 - YouTube

 

膵臓癌の闘病

突然癌の宣告、余命4ヶ月と知ってからの日記です。

死んでいく自分を客観的に見つめています。

 

何も考えたくない。

過去のことも未来のことにも目を向けず、昨日今日明日くらいのことしか考えなければだいぶ楽になれるのにと思いつつ、気が付くと過去の楽しかったことや、それを失う未来のことで頭の中がいっぱいになって苦しくなっている。

今だけを見つめるという技は、宗教を極めた高僧のような人にしかできないことなのかもしれないと思う。

 

今のことだけに集中する

 

ヨガでもインド哲学でも仏教でもよく言われること。

断捨離でも自己啓発でもマインドフルネスだって、

おまじないのように出てくる言葉です。

 

でも、できなくって当たり前だと山本さんが書いているのも見て、

ちょっと安心しました。

死の宣告を受けてもできないこと、

そうすれば気持ちが楽になるだろうとわかっていても、

今に集中することができないんです。

 

だから今からそれができるように、

修行をするんです。

 

やさしくされたい

余命が短いと決まってしまった患者として、

どんなことをしてくれたらうれしいか、

たくさんの場合が綴られていて参考になります。

 

脱毛対策でウィッグを作るとき、

個室のあるチェーン店を選びます。

病気のことをわかってくれて抗がん剤の対処法なんかも教えてくれるのです。

お金を払うから詳しい人に優しくされたい

が本音なんですね。

 

病気のことを知っている人のお見舞いを受けるとき、

楽しくておもしろい話題で終始するようにします。

見舞う側の緊張もわかるし、見舞われた後も疲れるのです。

 

自分の残り時間のことを思い、何かやりたいこと、食べたいもの、会いたい人はいないかを考えてみたが、もうあまり思い当たらない。たとえば毎日家で飲む、スーパーで売っているティーバッグのお茶が普通においしければそれでいいような気がする。

 

私たちだって自分の残り時間のことを思いながら生活しなくちゃいけないんですよね。

 

どんなにいい人生でも悪い人生でも、人は等しく死ぬ。それが早いか遅いかだけで一人残らず誰にでも終わりがやってくる。

自明なことだけど、これも日常の中で忘れがちなこと。

 

生きる、老いる、病気になる、死ぬという四苦。

それを安心して迎えられることが悟りであり、

お釈迦様の教えであり、仏教なんでしょう。

 

死への準備

借りていたワンルームの荷物を片付け、

税理士さんへの書類を作り遺言書も書く。

バッグも洋服も処分していく。

それを身につけて人にほめられる機会はもうない。

もう冬物を着ることはないという現実。

(5月病名判明、10月死去)

計画していた新作は諦め、今できている原稿での本作り。

本ができるまで生きていたいと希望し、

編集者や関係者に事情を話してお願いします。

 

そして闘病日記を出版してもらおうと、

テキストにします。

キーボード入力が難しくなって音声入力も使うように。

 

最後の日記は夫さんの口述と思われます。

 

この本の中には「愚痴」がまったくありません。

闘病が苦しいと悲鳴を上げているような感じもありません。

周りの人々に心の中で

「ありがとうございました。さようなら」

傍にいる夫にどんなに助けられ心を委ねていたかがわかります。

彼女も夫も泣くこともあるのですが、

淡々と書かれていてお涙頂戴ではないのです。

 

本を読む私は一緒に泣いてしまうというより、

自分は今を大切によりよく生きようという気持ちになります。

 

南嶺管長がよく仰っている、

今生きている不思議に感謝したいのです。

畑の一隅