70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

【イーディ、83歳 はじめての山登り】夫の介護から解放され登山に挑戦 Never too late

プライムビデオ

Amazonプライムビデオでおすすめに出てきて見ました。

www.youtube.com

30年夫を介護した後、3年間一人暮らし。

娘からは施設行きを勧められ、見学に行くけど入る気にならない。

設備は豪華でも、生活する人の弱々しさや生気のない顔つきに、

自分の暮らすところではないと思ったから。

 

父親からの誘い

昔父親から山の絵はがきをもらい、

そこにある山に一緒に行こうと書いてあった。

荷物を整理していてその絵はがきを見つけ、

父親のことを思い出します。

そこで一念発起して山行きを目指すというストーリー。

 

後からだんだんわかるのですが、山行きは「比喩」です。

幼い頃はやんちゃで元気に毎週末父親とキャンプを楽しむ少女だったイーディ。

その頃の多くの女の子のように、普通の男の人と結婚し普通の主婦に。

気難しく怒りっぽい夫に気をつかう生活。

それが、父親から絵はがきで誘われた登山に「行きたい」と言ったとき、

夫は激高して翌日から口をきかなくなり、発作で倒れて介護が必要な状態に。

以後30年間の自分の願いや夢を押し殺しての介護生活。

 

見つけた父親の絵はがきは、

やんちゃだった頃の本来の自分を取りもどす旅への招待状。

 

何も遅すぎるってことはない

映画のテーマは  Never too late

「何かを始めるのはいつからでもいい」

「小さいときの自分を思い出して」

「努力しなくちゃ手に入らない」

「人の心は温かい」

 

イーディが83歳というところが高齢化社会を反映しています。

70歳くらいでは誰も感動しなくなっているのでしょう。

たくさんいる70代の団塊世代への応援歌とも言えます。

私だって、こういう映画を見たら弱音を吐いてなんかいられないと思います。

ガイドを頼むのですが、それでも自分で体力をつけなくちゃ山は登れません。

最後に一人で上らなくちゃ意味がないと、ガイドの同行を断る場面があります。

現実的ではないのですが「比喩」と見れば納得です。

人の助けを借りることはできても、最後は一人で進むしかないのは人生も同じ。

先生もパートナーも家族も大切だけど、死ぬのも生きるのも結局は一人です。

その気持ちを持っていないと、

気持ちに迷いと依存が生じて不安や苦しみが生じます。

一人で山を登り続けるのですが、助けがないわけではありません。

父親の思い出、小さい頃のたくさんの楽しい経験もお供になります。

出会う人の心も温かいし、信用できます。

 

映画ではもちろんイーディは頂上にたどり着きますが、

途中で疲労困憊して死んだとしても、それでもいいのではと思いました。

 

登り続けたということで意味があるし、

登ろうと踏み出したこと、

登るために努力したこと、

それらがイーディの生き様だと思いからです。

 

私たちの人生も山登りの最中だとも言えます。

 

登り続けているか、

途中で休んでいるのか、

もう諦めて下っているのか。

 

服装や装備

イーディは昔のキャンプ道具とリュックで出発しますが、

最新の便利なテントやスマホを持ち、

カラフルなヤッケを身につけるようになります。

夫との生活はモノクロでしたが、

若い友人ができて色彩豊かになるのです。

若作りを揶揄され自己嫌悪に陥ったりしながらも、

新しい自分に変身(アップデート)していきます。

人生を楽しむには小道具も必要。

 

iPadiPhoneが私の装備。

 

わたしのモンデルのヤッケもきれいな黄色です!

もっときれいな色の洋服も作ろう!!

 

ピアス

イーディは金色のピアスをつけています。

私はこの頃すっかりピアスをつけなくなって、

穴が塞がってしまいそうです。

穴を保持するための太軸のファーストピアスを買いました。

イーディと同じ24金メッキのピアス。

これを見るたびにイーディの冒険と努力を思い出すことにします。

 

自然はそれだけで美しい