太宰治の心中事件
太宰治にそんなに関心のなかったわたしは、心中事件についてもよく知りませんでした。
三鷹市の玉川上水沿いを歩いたときも、こんな小さな川で心中なんてって思ったくらいです。
太宰の心中相手の山崎富栄について、松本侑子さんが丁寧に資料をあたり、ゆかりの人々に取材して小説に仕上げたのがこの作品です。
あとがきに
本当の主人公は、明治の東京に生まれ育ち、日本の美容教育の近代化、自らの立身出世をめざして孤軍奮闘しながらも、軍国主義と戦争にまきこまれ、一切を失った父晴弘だったかもしれない。・・・・・・
死後の毀誉褒貶にさらされた山崎富栄と太宰治に鎮魂の祈りを、奥名修一をはじめ、遠い異郷のフィリピンに戦い、没した約五十万人の日本兵に、感謝と哀悼の念を捧げる。
山崎富栄を中心に、周辺の人々を思いやりのあるまなざしで描いています。
『赤毛のアン』でも文中の引用の出典を詳しく調べた松本さんらしく、丁寧な取材で信頼がおけます。
戦争さえなかったら
富栄は商社員の夫と仲良く暮らし、美容師をとしての腕を教え込まれた父親の事業を、夫とともに盛り上げていったでしょう。
美容家として、教育者として人の上に立って尊敬されるだけの知性と人格も持っていたのです。
そんな歯がゆさを、松本さんも覚えたに違いありません。
今私たちの生活を苦しめているコロナは、環境破壊していった人間のせいかもしれないです。
その感染を人間の力で制御することは難しいです。
でも、戦争は人間が始めるのであり、人間が止められるはずです。
そんな思いがわき上がりました。
愛人として生きる
富栄は日記や手紙を多く残しています。
両親への手紙には太宰とのことを書き送って
「芸術の生命をわたしに教えて下さったお方に愛されて、そのお方の持っている美しいもののような何かを残して死にたいのです。・・・わたしは津島様の愛人として慎み深く立派に成長していきとうございます。・・・」
愛人として生き、そして死をも覚悟していることを表明しています。
戦後、何もかも無くして価値観もめちゃくちゃになった時代、ただ一つ芸術と愛情を信じようと思ったのでしょう。
たくさんの蓄えは太宰やその取り巻きへの接待に使い果たし、看護婦と秘書の仕事も掛け持ちして命を輝かせての毎日だったと思います。
父親の教えたように「立派に」生きたのだといえます。
無教養な愛人と片付けられたこともある山崎富栄さんの一生を掘り出し、松本侑子さんが立派に世の中に披露した小説です。