作家が書く評伝
動画の中で林さんが、伝記と評伝の違いをお話ししていました。
評伝では書く人が対象を考察して論評しているというようなこと。
そしてライターが書く伝記は、対象となる有名人(権威者)や遺族におぞんで忖度して書かないことがあるそうです。
その点作家は、書きたいことを書けるというわけです。
林さんも遺族からの理解が得られず宮尾さんの前夫の写真は出せないなどの制約はありながらも、取材をすすめ本人が隠していた真実を探り出していきます。
老獪さ
宮尾さんが自伝的小説やエッセーで書いていたことは、実際と違うことがたくさんあります。
それは作家の老獪さとして、「当然」だとします。
そして実際と作品上との違いに、宮尾登美子さんが目指した独自の世界観があるのです。
「いい作品」にするための創造です。
父親や母親が実際以上の「大物」にされていて、自分の境遇を更にドラマチックにしています。
ドラマチックにするために、さまざまな虚構を張り巡らしていくのでしょう。
林真理子さんがその虚実を丹念な取材と、奇跡的な巡り合わせで探っていきます。
生の宮尾登美子さんが明かされていきます。
人間性
本当は些細なことにも動揺する小心者のところがあったり、
直木賞の選考委員になった真理子さんにちょっと嫉妬する人間くささもあります。
でも、生来のお嬢さん気質が周りの人たちに「守ってあげたい」と思わせます。
再婚した夫は、彼女と彼女の文学性を支えたいと故郷と仕事を捨てて一緒に東京に出ます。
小さい頃から虚弱だったそうで、たおやかな美人ですが、
思い込んだら突き進むところは父親の豪胆さを受け継いでいるのかもしれないです。
最初の結婚生活では収りきれない、小説を書いて生きるしかない性を持っていたのだと思いました。
小説のため
モデル問題では、裁判沙汰になりそうになります。
わたしも夢中で読んだ『序の舞』や『きのね』です。
明らかに誰がモデルかわかり、関係者から非難されます。
「私は刑務所にはいるのかしら」とおびえていたと林さんは書いています。
作家ってみんなそうなのかしら?
そんな危険を冒す人は少ないのでは。
それでも書かずにはいられない、
ドラマチック=おもしろい物語=読者を楽しませたい
にしたかった宮尾登美子は、物語に魅入られた希有な作家だと思います。
評伝を読んでからもう一度その作家の作品を読む。
おもしろそうです。