70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

禅の修行は「手放すこと」 わたしは欲しがるばかりかもしれないと反省

手放す

こんなにも禅のことを見たり聞いたりしているのですが、

わたしは何を学んでいるのでしょうか。

こんな言葉に出会って反省しました。

禅の修行というのは、何かを得る、何かをつかむものではなくて、何かを無くす、手放す修行であることを申し上げました。

ですから、今までの講座は一所懸命にメモをとってしっかり学ぼうとされていたのでしょうが、この時間だけは、なにも得ようとせずにただ自分の身体と呼吸に意識を向けましょうと伝えました。2021/11/05 管長日記より

 

医学関係の学会で、午後の25分間の講座を受け持たれたときです。

朝からの講座などぎっしりのスケジュールの中で、

この時間は頭の緊張をほぐしてリラックスしていただこうとしたのです。

 

例えばヨガ

ヨガや瞑想をするときも、テレビや動画を流しっぱなしの時があります。

何かを自分に取り入れておきたい気持ちが、手放せないのです。

自分の身体に意識を向けることだけに、

呼吸にだけ意識を向けるのができないのです。

かといって、そのとき取り入れた情報を役立てることもなく流しっぱなしなのに。

 

この「ぱなし」がいけないんですね。

 

アクションプランナーとかモーニングページともに、

気になっていることをスケジュールに落とし込んだり、

書いて頭の中から出してしまうことで、

一区切りつけてしまうのでしょう。

つまり、気にしたりもやもや「しっぱなし」にしないということ。

 

ヨガ、瞑想、筋トレ、

それぞれの時間、それだけをするのでいい、

その時間はそのために時間に使うんだと意識すること。

ヨガのレッスンに行ったら他のことは出来ない、

だから集中できるし、それで無駄な時間とつかったとは思わない。

それなのに、自宅でヨガするときは他の何かを同時進行でなんておもってしまう。

ヨガも最後までしなくて、途中までで他のことをし出したり。

 

たとえばAppleWatch

身軽になるはずのAppleWatchですが、

かえって増えてしまったことがあります。

Suicaを入れて改札を身軽に通りたいという気持ちだったのに、

iPhoneとAppleWatch両方にSuicaを入れる必要があって

物質的には増えないけど、2枚のSuicaになってしまいました。

オートチャージにしていないので、2枚を管理してチャージする必要が。

nanacoカードもiPhoneには入れたのですが、

AppleWatchはまた別カードが必要みたいです。

 

どこまで便利にしたいのか、自分でコントロールする必要があります。

 

便利を追い求めることと「手放す」ことは相反することなのかしら。

手放して便利になることもあるはずです。

 

例えば散歩

散歩の時耳読するといいとは思いますが、

これも「なくてもいい」「手放してもいい」ことかしら?

耳読のためにイヤホン用意して、

そのためにはイヤホンの充電も必要です。

散歩の時にはただ歩くだけでいいのに、

その時間を何かに使おうという「欲張り」の気持ち。

 

ただ歩いているだけのほうが、思いがけずいいアイデアがうかんだり、

道ばたの花に気がつき自然の移ろい、小さな命にも心が動くかも。

 

欲張りの気持ちを手放す、わたしの課題です。

 

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