音訳では新人
音訳活動を始めて1年以上たちますが、まだ新人だと思っています。
何十年と活動されている先輩に甘えています。
でも、自分の中でも音訳を甘く考えていたことも発見しました。
今まで免除されていた難しい部分を初めて読むことになり、大ポカをしました。
私の失敗で大幅に作業がおくれ、チームの皆さんの帰りが遅くなりました。
これまで大過なくできてきたので、慢心が出てきたと反省です。
皆さんやさしい
今のチームは特にやさしい人がそろっていて、誰も私を責めません。
なんだか今でも思い出すと涙が出そうです。
私のミスをリカバリーしようと作業しているのを、私はもう離れて見ているだけです。
もう手出しせず、ひたすら見守りました。
人の優しさが身にしみて、わたしも人には優しくしたいともう一度決心。
(何度も決心しないと定着しません)
心ここに非ず
わたしはその間に使ったUSBメモリーをフォーマットしようとするのですが、心が乱れて作業が進みません。
本当にフォーマットがすんでいるのか、何度もやり直ししていたのです。
「今」「ここ」に集中する訓練が必要なのは、こんなふうに心が簡単に嵐に見舞われるからなのだと実感しました。
できないことを確認
今回の失敗の原因を、客観的に考えてみました。
失敗から距離を置くことができるのは、年を重ねたのと今までの学びのお蔭ともいえます。
原因を考えることで、つぎは何をしようかと考えて失敗に拘泥する気持ちから離れられます。
・体力の衰えで集中力の持続ができない 年齢的なものだけでなく最近の運動不足
・問題解決能力の減退
・音訳作業の全体像が把握できていないことの認識不足
・不安に思っている部分を先輩に確認する勇気不足
ではどうしたらよいか
結論としてはもっと練習と勉強をすることにつきます。
せっかくアクションプランナーを使っているので、音訳勉強の時間を毎日予定することにしました。
毎日メルマガを音読したりしていましたが、本気の勉強ではなかったと反省です。
今までの資料を読み直したり録音を聴き直すなど、することはたくさんあります。
今日もWeekly OCHIAIで「今アメリカで何が起きているか?」なんて動画を夢中で見ていたのですが、こんなにあちこち気持ちが動いていていいのかしら?
瞑想やら仏教やら、知識を詰め込み続けることも、心がざわざわしていることの要因になっているかもしれないです。
本当にしたいこととか優先順位を考えてみます。