電車に乗りながら
ヨガセミナーの翌日は、仕事で 電車に乗りました。
辰巳駅の出口でドラゴンに出会いました。 ドラゴンも乗り物?
電車で春めいた車窓の風景を眺めながら、ヨガセミナーの余韻に浸っているとき、ふと考えました。
電車も私の体を運んでいます。
その私の体は私の 魂を乗せる乗り物です 。
体が弱ったら、外に出かけられない。
魂の赴くままに行動できなくなるのです。
体を丁寧に扱い整えることは、 私(=の魂)が 思うように動き回り 体験を積むためにも必要なことなのです。
人は何のために生きているか
と考えてみました。
大きな問題です。
そんなことは何も考えず日々暮らしていることの方が多いでしょう。
でも、それではむなしくなります。
そこに、宗教とか哲学とかが出てきます。
自分の魂 or 人格の成長もあるでしょうし、人を助けるため(ヨガ的には奉仕)にも生きていると思います。
人に喜んでもらえるという社会的な生きがいは、生きている実感を得ていきるエネルギーになります。
役に立てないと思った時「何のために生きているのだろう、生きている意味がない」と思いがちです。
インド哲学では、輪廻転生で死んでも次の世界があるとします。
今生での財産は持っていけないけど、知識や経験は死んでも持っていけるとします。
だから、徳を積み、善行を心がけます。
それを続けるための健康です。
思い出す柳澤さんのこと
では、優秀で努力の人だった柳澤桂子さんはどうして難病で寝たきりになって苦しんだのでしょう。
彼女に健康が与えられたら、たくさんの大きな業績を上げられたのに、と思ってしまうのです。
努力の末の研究の成果を目前に、病に倒れたことの悔しさがとても心に響くのです。
長い闘病のこころの変遷とリハビリの様子を、科学者の目で書き留めてくださいました。
柳澤さんからは程遠い私ですが、そこから学ばせて頂くのは、健康のありがたさです。
奇跡的に命をいただき、ありがたいことに今は健康でいることへの感謝です。
ついつい忘れがちです。
私たちは今この体を与えられて、魂の旅を続けています。
その体を丁寧にあつかい、よりよい乗り物とするためにヨガのアサナをします。
ヨガには哲学があります。
めざすものがあります。