古典を友として
清川妙さんの『人生のお福分け』にこんな文章を見つけました。『徒然草』の一節です。
ひとり燈火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる
見ぬ世の人を友とする。なんとしゃれたことばか。古典の勉強とは難しいものではなく、はるか昔の賢い人たちを友達とすることなのだ。
彼女は賢人たちとそして書き残された古典たちともとても仲良しになります。
その交流で、励まされたこと気づかされたことも多く、感性も磨かれ一生を深く楽しんだのです。
私も本の中の人たちとお友達になりたいです。
徒然草
仲良し古典としてまず挙げられているのが吉田兼好の『徒然草』です。
・思い立ったらすぐやれ
・想定外のことはまれではないことを忘れるな
・続けることの大切さ
などを教わります。
この日々を生きている幸福をかみしめ、同じ生きるならたのしく充実して生きろ、というのだ。兼好さんと知り合ってよかった。彼の言葉は、私の心に溶かされて、一生を通して、人生に立ちすくむ日の道しるべとなった。いつ終わるか想定できないいのち、いとしんで、生きこみ、生き抜く、と、私は、見ぬ世の友である兼好さんに心を込めて呼びかける。
夫と息子の死を乗り越え、思い立ったら英語の勉強を始めて40年続け、一人旅で外国に出かけそこでの交流を楽しむ、清川さんの行動の原点は兼好さんのことば
存命の喜び、日々に楽しまざらんや
に導かれているのです。
枕草子
娘時代から波長の合う親友のように思っています。
惹かれる理由は
・繊細・尖鋭な感覚
・感覚の繊細さからくる喜び上手な前向きさ
・会話のうまさ・センスの良さ
清川さんの文章を読むと、清少納言がどんな女性だったかまざまざと浮き上がってきます。
人をそらさずいきいきとした楽しい会話、楽しげな表情まで想像されます。
どんな時にもよろこび上手で人も楽しませることができたら、人生はどんなに彩りゆたかになることでしょう。
清少納言はそんな女性で、清川さんもそれを目指して機嫌よく暮らすことを目指した方です。
ものやお金がいるわけでもなく、自分の意思 will power でできますね。
ものはいらないけど、そういう智慧が欲しいものです。