映画のあらすじ
女性雑誌で評判の良い映画「ミス・シェパードをお手本に」を見てきました。
ホームレスで路上駐車のバンで暮らす高齢女性のお話です。
ほとんどが実話だというのですが、この偏屈な女性を自分の家の庭に駐車させて14年間共に暮らしたという、劇作家とのお話です。
過去に何かありそうで、ミステリアスな言動があります。
予告編でも、物思わせぶりにパリでのピアノ留学のエピソードがありました。
評判ほどでは
でも、そんなにドラマチックな出来事が描かれるわけでもなく、終わった時には物足りなさを感じました。
実話なんだから、そうなんでしょうね。物語を無理やり作っていません。
わたしは彼女の栄光の過去が明らかになって、ものすごく感動するのでは、と期待していたのですが、そういう話ではないのです。
見た後、元気が出る(彼女の生き方に元気をもらえる)のでは、とも期待したのですが、それもなかったです。
同じだと思ったこと
最後の劇作家のモノローグの言葉が心に響きました。
「彼女は物語を作ったのではなく、彼女の生き方そのものが物語だったのだ」
というような言葉でした。
その時私が思ったのは、ひとは大きなドラマがなくても、そのおかれた場所で精いっぱい生きることで、ひとりひとりがそれぞれの物語を作り上げていくのだということです。
物語は向こうからやってくるのではなく、自分で作り出していくという主体的な生き方をしたいです。
映画のヒロインはカトリックで、その修道女見習いをしていたということです。
カトリックの教義をよく知らない私は、ヒロインの心持ちが今一つわかっていないかもしれないです。
でも、日本のカトリック修道女の渡辺和子さんの「置かれたところで咲きなさい」という言葉を思い出しました。
同じようなことを言っています。
置かれた境遇を愚痴るのではなく、その場で自分らしく生きて最後に笑って見せた主人公は、「臭いオンボロ車」という場所でも咲いていたのでしょう。
有吉作品でも
有吉佐和子作品で「私は忘れない」をちょうど読み終えたところでした。
昭和34年の新聞連載小説でした。高度経済成長に日本が浮かれているころ、離島では電気もままならない、テレビもない生活をしていました。原始的という言葉さえ出てきます。
スターを夢見るヒロインがそんな離島に滞在し、離島の厳しい生活とたくましく生きる島の人たちを知ることになります。
自然の猛威を何度も受けて、それでも助け合って生きている島民の姿に心打たれ、ヒロインは自分の置かれた立場で文句を言わず精いっぱい頑張ろうという気持ちになります。
映画のヒロインとこの小説のヒロインに共通するのは、ないものねだりをやめるということではないでしょうか。
自分に置き換えてみました。
今の家族・職場などの環境に文句を言わないことがまず一番ですね。
自分のできる精いっぱいのことをして生きることで、自分の物語を作っていけます。
他人任せ、他人のせいにしない生き方です。
私がわかっていないのか
映画を観終わってちょっと失望した私ですが、この映画で描かれていたことをわかっていなかったのかと反省しました。
日常生活の小さなことの積み重ね、心の機微を描いていたのに気がつかず、大きな事件を待っていました。
日常生活を丁寧に、というのが私の望む生活だったはずなのに。
日常をひたむきに
映画のヒロイン ミス・シェパードもたぶん体が痛いところもあったりしたでしょう。
不良たちに怯える不安な夜もあるなかで、安易に甘えず、自分のやり方と生き方を通してひたむきに生きました。
最後に「きれいな手だから」と劇作家に手を差し出した時、彼女のそれまでは汚いからと遠慮していただろう気持ちに気がついて、切なくなりました。
もう一度見たら、もっと細かいところまで鑑賞できるかもしれないです。
わたしには家があり、自分で掃除もできることに感謝です。
(自分の思うようにできないところもあるけど、自分の気持ちだけできれいにできるところがたくさん、たくさんあるのに、目をつむっています。反省。)