70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

アシュタンガ 八支則からヤマ(禁戒)  してはいけないこと

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*日本アイアンガー協会のホームページからお借りしました

 

八支則

ヨガの聖典、聖者パタンジャリが説いた「ヨーガ・スートラ」の中に出てくる、ヨガ哲学の基本的な教えで八つの段階・行法があります。

そのうち

ヤマ 禁戒   日常生活で行ってはいけない5つの心得

ニヤマ 勧戒   日常生活で実践すべき5つの行い

について書いていこうと思います。

 

これは、読むたびに心して実践したいと思うのですが、すぐに忘れてしまいます。

トイレにでも書いた紙を貼ろうかと思ったのですが、それは家族にもこういう気持ちになってほしいという「欲」があるからだと気がつきました。

そういう邪心はあるのですが、毎日必ず目に留まることを考えると、トイレに貼るのが一番だと思うのです。

 

自分が良く見る壁にだけ貼ってみて、それから手帳にも書いたりして、それでもだめならトイレに張ることにします。

 

引用はインドの伝統式ヨガスクール リシケシ・ヨガシャラのホームページ

www.rishikesh-yogashala.com

が良くまとまっていたので、利用させていただきました。

 

ヤマ 禁戒の5つです

アヒムサ(Ahimsa)/非暴力、不殺生
 いかなる生きとし生けるものも殺してはいけない。行動、言葉、思考のレベルで他者に暴力をふるってはいけない。
 誰に対しても怒りを抱かないこと。もとの語源は、”苦痛を引き起こさないこと”。自分自身を大切にすることから始まる

 ここでヨガの哲学が深いなと思うのは、言葉の暴力、思考の暴力までも含めていることです。人を傷つける言葉を出さない事は当然ですが、無視したりすることも思考の暴力だと思います。

怒りの感情のままに、口に出してしまう言葉をもコントロールしたいです。

時に気持ちを傷つけるとわかっていての無視など、自分に許してしまいがちです。

自分にしてほしくないことは、他人にもしないという考え方同じですね。

自分と他人とを同一に見るという根底があるともいえます。

すべてがつながっているというヨガの思想です。

 

サティヤ(Satya)/嘘をつかないこと
 自分の利益やエゴを守るために、嘘をついてはいけない。ただし、他者を傷つけるようなことであれば、真実であっても言わ ない。その場合は、きちんと言わない理由を正直に言えばよい。第一にアヒムサ(非暴力)が優先される。
  嘘をつかずに誠実でいるためには、言動、言葉、思考を日頃から一致させることを心がけ、自分に正直に生き、心が穏やかな状態でなければなりません。

嘘をつくと、それを正当化するために嘘を重ねることになります。心穏やかでいるためには嘘をつかないことに限ります。

正直でいることは、その責任を自分がすべて負うという覚悟と強さが必要となる場合があります。その覚悟と、結果は思いわずらうことなく瞬間に生きるというヨガの哲学が支えになります。

 

 ●アスティヤ(Asteya)/不盗
 他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけない。自己中心的な行動はやめなさいという教え。
 自分自身がちっぽけな肉体だと思うところから、その肉体の感覚を満たそうと執着が生じたり、名声やよい評判を得ようという エゴが生まれる。約束の時間に遅刻したり、行列に割り込んだり、 相手の話をきちんと聞かずに遮って自分が話すことも 他人の時間を盗んでいることとされ、アスティヤ(不盗)に反します。
 物やお金、地位、名声など、常に変化し続ける外の世界には真の幸福はありません。
 どのようなものごとにも、人間関係や楽しかった思い出さえも、執着しない状態でいることが一つの鍵です。

 他人の時間を盗んでもいけないというのに、はっとさせられました。

気に沿わない人との会話で、おざなりに返答したりすることがあるのですが、それも相手の時間を盗んでいるのだと言えます。自分の時間も無駄にしています。

人と会い、話したり、教えたり、教えられたり、そのひとときひとときも、大切にしようと思います。

何かで読んだのですが、どんなふうに時間を使うかはどのように生きるかということだという言葉があります。

人の時間を盗まないで、時間を共有するときには楽しく豊かな時間にするように、その人との関係に集中したらいいのでしょうね。

家族との時間を大切にしたいです。

 

ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)/禁欲
 もともとは、性欲に代表されるような、エネルギーの無駄使いをしてはならないことをせず、生涯を独身で過ごすことが説かれていた。現代では、パートナー以外の異性とむやみに性的関係を持たないことの他、利己的な欲を満たそうとするのは避けることとされている。生命エネルギーは必要なところに集中させることが禁欲の本質。 

 私にとっては、食欲とかテレビをだらだら見ることなどのコントロールが大きな問題となっています。

なかなかうまくいかないです。

生命エネルギーを浪費して、消化器官を消耗させたりしています。

自分を甘やかして、甘いものとかたわいもないドラマとかを自分へのご褒美としてしまっています。

少しずつ、少しずつ、進みます。

 

 ●アパリグラハ(Aparigraha)/不貪
 貪欲さを捨てること。次から次へと湧き起こる、尽きることのない欲望に身を任せない。何かを必要以上に所有しない。
 程度を超えた欲を持たず、独占欲を抑えることでもあります。必要以上に所有すると、執着がわいて、それを失うことへの恐れや他者への怒りと嫉妬を生みます。アパリグラハの実践は、外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらし、寛容になり他者から奪うのではなく、与えることにつながります。

 必要以上に所有しないこと、これこそシンプルライフです。

断捨離もそうです。

 

必要以上に持たないことで、身の回りも心も頭の中も快適にすることができます。

 

貪欲さの反対は、他者に与えることができることを喜ぶ気持ちでしょう。

 

その境地を目指します。

貪欲は醜いですものね。

 

 

以上日常生活で、してはいけないことでした。

膝の怪我のその後 

ひざの状態



相変わらず膝は痛いのですが、階段の上り下りは楽になりました。

でも、それは、痛みになれて足の使い方が上手になったせいかもしれません。

膝を曲げることは確かに楽になり正座の姿勢(ヴィラアーサナ)が全くできなかったのが、お尻の下にブランケットを当てて膝を広げた下向きの英雄のポーズ(アドームカ・ヴィラアーサナ)ならできるようになりました。

それは、良い兆候なのですが、ひざの下からふくらはぎにかけてが痛むようになりました。

 

家でも忙しく階段を上り下りすることが多いのですが、出かけた先ではなるべくエレベーターやエスカレータを使うようにしています。

長く歩くこともやめています。

(膝が痛いのにポケモンモンスターボール集めに歩き回ったこと、をちょっと反省しています)

ヨガのポーズでは、立ポーズは壁を背にして無理をしないように、ゴームカアーサナなどは別メニューを指示されています。

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お見苦しいのですが、右ひざの腫れの様子。まだ腫れています。膝の周囲にエクボが5個見えなくてはいけないのだと、アイアンガーの先生に教えていただきました。

怪我の原因

直接は風邪を引いて体調が悪いのに、パドマアーサナを長い時間したときからでした。

でも、その前から膝は弱かったのです。

長時間のドライブで足を組んでいたとき、車から降りたとき、よく膝が痛くなりました。

 

夜中に曲げていた膝が固まったようになって、それをほぐすのに慎重にしないととても痛かったりしたことがあります。

 

太陽礼拝でチャトランガで膝をついた時、ひざ上のぜい肉をおかしくこすって、痛くしたこともありました。

 

もともと、ひざが弱かったのだと思います。

 

不調から始めてよかった

アイアンガーヨガセンターに体験を申し込んだときは、ひざの不調はなかったのですが、3回の体験中に風邪をひき膝も傷めてしまいました。

これではセンターに通えないのではと思いました。

今はタイミングではない、というです。

でも、ヨガセンターの先生からは足の正しい使い方を覚えたり、痛みを取る方法を覚えることができるから通ってもいいと言われたのです。

 

膝が痛い私は、毎回練習の始まる前に不調のある人を聞かれて手をあげています。

膝に負担のかかるポーズは別メニューで、無理はしないようにと言われます。

無理はしないようにと言われても、練習内容はかなりハードです。

 

タダアサナで立って、両手を上にあげるのですが、ウールドヴァ・ハスタアサナとウールドヴァ・バッダングリアアサナを2かいずつするだけで汗ばんできます。

足指スティックをはめ、傾斜板に乗って、背中を壁につけて尾骨は下に降ろして・・・・と、身体を観察しコントロールしながらです。

 

いままで、意識していなかった(できなくても仕方ないと思っていた)アライメントを正確にするために、真剣です。

 

膝を引き上げ、太ももを後ろに押すことを常に意識します。

 

不調のある私は途中から別メニューになり、セトゥ・バンダ・サルバーンガに長く入ります。これは胸を開いてのシャバアサナのようなもので、気持ちがいいです。

 

今はセンターに行って、道具やポーズになれることに精いっぱいです。

不調があるので、無理することなく自然体で参加できてよかったです。

 

身体の痛みと付き合う

膝が痛いといろいろなことを考えます。

どんなふうに痛いか、痛みの程度はどのように変化しているか。

自分で観察して、ヨガの練習時に先生に説明したいからです。

前の日にどんなことをしたら、次の日に影響するかなど、自分で把握することを心がけています。

いままでは、他人任せというか無自覚でした。これからは自分で痛みと付き合い、治していこうと思うのです。

 
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今できることの幸福

膝は痛いけど、片方だからよかったと思います。両膝だったら出かけることもできません。ほかにも病気がないからヨガができることが、幸せだと思えます。

普通に生活することは、それだけど恵まれていることを忘れないでいるのは、なかなかむつかしいことです。一つ痛みがあるとそれができます。

どんな時も続けたい

ヨガセンターで購入した

「アイアンガーヨガ」完全マニュアル

その中にも

定期的な練習の積み重ねは身体の内側の力と自然な免疫力を高め、痛みを緩和し、病の病状ではなく、その根源に対処する。

と書いてあります。

 

アイアンガーセンターに通うようになったのを契機に、もう一段ヨギーニへの道を進んでいくことができそうです。

 

痛いところがあっても、風邪をひいていても、どんなときにもできるヨガを探っていきたいです。

 

妄想自宅カフェ計画

朝仕事

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*お花の名前も覚えたいです。仕事先で見つけた野花

私は家事があまり得意ではありません。

掃除とか整理整頓などが特にへたというか、なかなか手を付けなくて後回しになってしまいます。あとまわしならいいけど、そのまま手抜きになる場合が多いです。

 

断捨離を知って、かなり物が少なくなりました。探し物をしなくなったのが何よりの効果です。いまでも、何か探して見つからない時、もっと物を少なくしておけばよかったと思います。

物が少なくて自分で管理できたら、探す時間がなくなります。収納がすくなければ、探す場所も少なくなります。

 

工夫してきたこと

今までも、なんとか家を気持ちよく整える自分になりたいと工夫してきました。

 

できないから、本を読んだりセミナーに行ったりブログを読むのですが、そう言う情報収集をする時間はあっても、実際身体を動かすことができないのです。

本を読んだだけではなかなか続かない「良い習慣」をつけるために、アプリを使ったこともあります。

その名もずばり Good Habits  

身に付けたい習慣をTaskとして選び出します。それを実行したかどうか毎日チェックします。グラフになったり、連続してチェーンがつながったり、視覚化して良い習慣作りを応援してくれるというものです。

でも続かなかったです。あまりに続かないので Task の内容をどんどん楽にしました。

例えば 太陽礼拝を5回というのを、1回でもすればよくしました。

トイレ2か所・洗面所2か所・階段掃除を毎日するというのは、そのどれか一カ所でもすればいいことにしたりしました。

それでも、アプリを使うことの習慣がつかなかったです。

 

今日の思い付き

今日思いついたのは、我が家をカフェだと思うことです。

カフェの開店準備として、掃除や身づくろいするようにしたら、とひらめきました。

 

自宅ではなかなか読書に集中できなくて、カフェに行きたいと思うことがあります。

自宅をカフェと思おうとしても、それは無理でやはりだらだらネットサーフィンやテレビ・ビデオに流されてしまいがちです。そのうえ間食してたりします。

 

それは、我が家がカフェ仕様になっていないからではと思いついたのです。

 

お客様を迎えるくらいに、朝の掃除をして、身づくろいをして、家の外回りにも気を配って・・・・

 

そうしたら、あとは落ち着いて家にいることができそうです。

 

いままで、やること(掃除とか)もしないというちょっとした罪悪感があり、

実際にも雑然とした空間だったのが良くなかったのかもしれません。

 

これを実行したら、掃除や整理整頓がだんだん行き届いて家がきれいになりそうです。

家族にも、おもてなし気分でていねいにやさしく接することができたら、もっとハッピー。

私の心の修行にもなります。

なんだかたのしくなりそうです。

 

早速階段と玄関を掃除してきます。

ヨガでも環境を整えることは

ヨガでも、自分や身の回りを清潔にすることが修行のひとつです。

ニヤマ(自制心をもたらし、惰性を取り除き、ヨガの道に従う内的欲求を形作るポジティブな流れ)5原則の第一にシャウチャ(清浄)が来ます。

ヨガマットも自分の宮殿。

家も自分の宮殿。

誰かのためとか、やらされているのではなく、生きていることの当然の義務なんですよね。

 

ギータ 2-47 熊澤教眞訳

汝の任務は行動することであり、結果を求めることではない。結果を求めて行動してはいけない。無為に陥ってもいけない。 

この箇所は何度も読んでいます。

う~ん、何度も何度もこれを読んでいるのですが、まだまだ道半ばです。

 

 

どこに身を置くかも大事 「はてな」はいい環境

はてなブログという場所

私は「はてな」という場所でブログを書いています。

ブログのデザインやレイアウトなどまだ使いこなせない機能がたくさんです。

少しずつ勉強して読みやすいものにしたいとは思いますが、今は書くことだけに力を集中したいと思っています。

 

書くことになれてから、形を整えることにします。

 

この場所はいい環境だと思っています。 

ブログ作成遍歴

某プロバイダーの提供している無料ブログが、私の作った一番最初に作ったブログでした。

何を書くかも定まらなかったし、新しいツールをどのように使うかの勉強でした。

スマホから投稿するアプリを使ってみたのですが、すぐアプリが落ちてしまって使い物になりません。

入力画面が小さく、PCからの投稿も、使い勝手が悪かったです。

 

次に某有名簡単ブログで、別カテゴリーに特化してブログを始めてみました。

簡単で使いやすかったのですが、宣伝がたくさん入ります。

私と同年代の友達は、挿入される宣伝商品を私が勧めているものだと誤解します。

 

はてなに変えたきっかけ

シンプルに自分の記録を残したくなりました。

読者を意識するのではなく、ヨガに関することの覚書です。

 

決意したり気がついたりしたことを、記録しておかないとどんどん忘れてしまいます。

せっかくの学びが定着しないことが、もったいないです。

 

自分が読んでいて記事がいいと思うブログが「はてな」でした。

(うちこさんの「ヨガ日記」が大好きなのです。)

 

余分な機能はなくてもいいから、テキストをストレスなく書き続けることができ、スマホからの投稿も簡単にできるのが希望でした。

 

以前の記事の取り込みなど、操作も簡単だったので、はてなブログに引っ越しをしました。

 

それから

はてなブログでは、興味のあるカテゴリーに読み応えのある記事がたくさんありました。シンプルライフミニマリスト・断捨離関係の記事を読み漁る日々が続きました。

 

たくさんの有名ブロガーさんがいて、そのほとんどの方が毎日更新しているのに驚きました。その人たちが本を出し、どれも本屋さんで平積みされてよく売れているようです。

おしゃれな生活を覗き見るようなミーハーな感じもあります。

でも、実際役に立つ記事も多く、参考にしています。

雑学的にですが知識が増えます。

 

ブロガーさんどおしのつながりで、記事にリンクが張られて別のブログを見つけることもあります。だいたい好きなブログが定まり、いくつか読者登録をしました。

 

はてなでは、読者登録をするとそのブログの更新のお知らせが毎朝メールで届きます。

お気に入りブログの更新記事を見逃すこともなく便利な機能です。 

 

今は

毎朝更新のお知らせメールのリンクから、お気に入りのブログを読むことが日課です。ほかにもお気に入りのブログがあるのですが、それはgoogle chrom のトップページに表示されます。

 

そのどれもが、だいたい毎日更新されているのは本当に驚くばかりです。

 

私は毎日書けませんし、書こうとしたらたぶん中身のないくだらないメモ程度のものしか書けないでしょう。

 

書く技術も努力も気力も必要だと思います。

みなさん、努力されているです。

天性のものだけではないはずです。

 

よかったことから考えた

 はてなブログに移って、質のいいブログに出会えたと思っています。

はてな」という場所にいるから出会えた上質のブログだと思います。

 

そして、この場所にいるから私もしっかり考えた文章を書きたいです。

 

あまり構えてしまっても、書けなくなりますが、自分の頭で考えて書くことを心がけます。たとえば、本の内容を引用するときも要点をメモ代わりに書いておくだけでも意味があるようですが、なるべく自分の感想やそれから引き出された自分の考えも書いていけたらいいなと思うのです。

 

インプットだけではない、アウトプットすることの訓練としてもブログを書いていきたいです。

 

書くだけでなく、実行することが大事ですが、とにかく感じ考えることからスタートです。

 

 ちょっと思ったこと

それにしても、今は何か世の中に向かって打ち出そうとするとき、ブログ文章を書けるかどうかで、集客が違ってくるだろうと思います。

特に若い人たちは、すぐ「検索・口コミ」に頼ります。

経営者・主宰者さんたちは大変だろうと思います。

ヨガ教室や食べ物屋さんだって、ブログがあるとないとでは認知度に違いがあると思います。

 

ヨガのインストラクターとしてのスキルと、ブログの定期的な更新は違うスキルだと思うのです。

 

地味にまじめにやっている方たちが、情報弱者になってしまうのが心配です。

 

 

 

 

ブログで洗脳されてしまう 湯シャンとか肌断食

はてなブログ

 
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はてなでブログを書くようになって、他のはてなブログもたくさん読みました。

その内容が良かったことが、はてなにブログを引越しした理由でもありました。

そして、いくつかのブログの読者登録をしました。

ヨガとか断捨離関係でたくさんの記事を読んだ中で、考え方とか生き方が素敵だと思った何人かの女性のブログです。

 

その人たちのジャンルを見て、私はシンプルライフとかミニマリストに関心があるというか、あこがれていることが再確認できました。

それらのブログによく出てくるけど、それまで私の生活にはなかったことがいくつかあります。

肌断食とか湯シャン

ブログの中では、肌断食とか湯シャンがよく出てくるのに驚きました。

 

もともとお化粧はあまりするほうではありません。

特にヨガでの外出では、汗になるし、ポルスターを使うときには汚してしまう懸念もあるので、いつも素顔です。

銀座のヨガに行きはじめたときは、銀座に行くのにすっぴんではいけないと思ったり、途中歩くことを多かったので、日焼けするのが嫌で少しBBクリームを塗ったりしていました。

でも、汗をかきそれをぬぐうタオルにBBクリームがつくのが続くともうお化粧はやめようと思いました。

でも、ヨガ以外での外出ではお化粧は身だしなみと思っていたのです。

繰り返し読んでいると

シンプル系のブログを読んでいるうちに、「肌断食」とか「湯シャン」がとてもいいもののように思えてきて、挑戦してみる気持ちになりました。楽ですし、環境にも体にもよさそうです。

肌の手入れをやめることはすぐできました。

もともと一つ塗るだけで済むオールインジェルを早いうちから使っていたくらいですから。

てこずったのは「湯シャン」でした。お湯だけでのシャンプーを続けると、髪の毛がごわごわになり、後ろの毛が固まったようになってしまったのです。

サラサラと反対の状態です。

でも、周りの評判はいいのです。

固まった髪の毛が、自然のウェーブになっていて、形が決まっているのです。

でも、形がいいのは洗髪後1日くらいで、あとは痒いしカラーリングした髪の毛の毛先がキラキラ光って脱色でもしたようになっておかしくなります。

 

「湯シャン」の記事をいろいろ読み、時々シャンプーしながら慣らしていってもいいというのでそうしてみたら、調子よくなりました。

 

今はほとんどお湯のみでシャンプーして、痒かったりお出かけの前なんかにたまにシャンプーを使うだけになりました。

 

以前は

お湯だけのシャンプーが話題になっていることはしっていましたが、真似をする気にはなりませんでした。

それが、自分の読んでいるブログでよく記事にされていて、好感を持って読んでいるブログの人が思いもかけずその実践者だとわかったりしているうちに、私もやってみようと思うようになりました。

これって、洗脳されているってことじゃないかしらとふと思いました。

 

「しっかり石鹸分で油脂を洗い流さないと、頭皮の健康上悪い」という記事ばかり読んでいたら、その気になってしまうでしょう。

 

「シャンプー後の香りは女性の好感度アップ」という宣伝をガンガンされてしまったら、若い女性たちはその誘惑に抗いがたいだろうなって思います。

とくに、中高生とかです。

 

どんな情報を取りに行くか、どんな情報に身を置くかが本当に大切です。

 

ただの情報はたくさんもらいたい、という傾向のある私はこのことをしっかり考えて反省しなくてはと思いました。

 

洗脳されやすい体質があります。

自分軸

それにしても、自分で判断することってむつかしいです。

ヨガでも断捨離でも、自分軸を強調します。

それを判断するのは、自分の知性と感覚を研ぎ澄ませることなのでしょう。

 

まっすぐ立っているか、身体に無理や痛みがないか、心も無理をしていないか。

 

いろいろ感じ、考えて暮らすということでしょう。

 

これからも課題です。

 

軸足はどこ

ところで、軸足ってどこでしょう?

ヨガのポーズで立木のポーズという片足で立つアーサナがあります。

このとき、軸足に立つということは、片方の足にしっかり乗ることだと思っていました。

あるときインストラクターのかたが、身体の中心の軸を感じましょうと言いました。

ということは、マットについている足にべったり乗るのではなくて、内側に乗って身体全体の中心を意識したほうがいいのかなって思いました。足をあげていても、体重は同じなのだから体の中心は足の内側になるのではとないかしら。

 

こまかいことですが、こんなふうにていねいに身体を見たりアーサナのことを考えるようになりました。

 

生活の中でも、情報を得たり、本を読んだり、人と交際したり、いろいろな場所で自分の軸を外さないようにしたいです。

 

お化粧、洋服、食べ物、私はどんな生活をしたいのか、どんな人間になりたいのか、今もって定まらないんですよね。

ふらふらしている私は、ヨガのバランスのポーズが苦手です。

周りに気を取られず、集中集中

 

まだまだ進化中、と思うことにします。

 

身体は魂の乗り物だから

ヨガでは


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    *近くの畑の一角が花壇になっていました

インド哲学では、自分というのは「身体」でも「心」でもなくてもっと本質的な「魂・真我」(アートマ)なのだということです。

「心」が自分でないということは、ちょっとわかりにくいですね。

「心」こそ自分のようですが、実は心は動揺しやすく流されやすく、制御しがたいものです。それ故に不安になり苦しむことになります。

『ギーター』にも、心は自分の敵にも味方にもなると書いてありました。

 

真の自分に目覚めたら、そのようなことがなくなり、心穏やかに暮らせるはずです。

 

そして、「身体」も魂を載せる乗り物のようなものだとたとえられます。

うちこさんが良く例に挙げる「ママチャリかスポーツタイプの自転車」かいろいろな持って生まれたタイプはあるけど、メンテナンスと乗りこなしようで、性能は変わるのです。

古くなったママチャリでも、メンテナンス次第で充分長い悪路を乗りこなせるでしょう。

私はそのメンテナンスをヨガでしているのだと思います。インド哲学を学ぶことは、そのメンテナンス方法を学ぶこといえるかもしれません

ひざの怪我

ひざを痛めていて、日常の所作にも支障が出るくらいになりました。

階段を降りるときだけが痛かったのが、昇るときも右足をかばうようになってしまったのです。

それは、困ることなのですが、悪いとばかり思わないようにしています。

 

痛いのが片方だけでよかったと思います。

両膝が痛くなって歩けなくなったらもっと困ります。そうなることだって可能性としたらあるわけです。

身体の使い方が悪かったのです。丁寧に身体の様子を見て、感じて、判断することをさぼっていたことの結果です。

 

だからこれからどうしていくか、を考えることにしましょう。

身体の様子を聞きながら、自分の頭で考えていこうと思います。人任せ、ヨガの先生任せでなく、自分の感度を鋭く判断力を高めていきたいです。

 

例えばひざが腫れているから、アイシングをしたほうがいいという方がいます。

以前通っていた井本整体の理論では、とにかく温シップで温めることが重要だと言われていました。

冷やしたらいいのか温めたらいいのか、両方やってみました。

1回ではどちらも効果てきめんというわけにはいかなかったです。

腫れている間は、アイシングがいいかもしれないと思うのですが、もう少し調べてみます。

 

ひざをかばって歩かないほうがいいのか、痛くてもある程度使い続けていたらいいのかも考えています。しゃがむのは痛いのですが、歩くだけなら痛くないからです。

 

判断に苦しむ所ですが、人のせいにしないで自分で判断するようにします。

その結果は自分が全部引き受ける覚悟をしてです。

 

それでもヨガ

ひざを痛めていて、ヨガのレッスンに行くことはどうなのかしらと考えてしまいます。

レッスンに行ったからひどくなっているとは思いません。

たくさん歩くことと、どちらが膝の負担になっているかわかりません。

でも治っていない現状では、アーサナでどうしても膝を使ってしまうので控えたほうがいいのかもしれないです。

実際、チャイルドポーズや正座をすると、かなり痛いです。レッスンに参加するとついつい痛いのを我慢してアーサナに挑戦してしまいます。

 

これは、あまりよくないだろうから、しばらくお休みするという判断もあります。

 

それでも生きていく

今の私の膝の痛みは、たとえば慢性病を持っていたり、癌患者さんなどに比べたら全然大したことないです。

 

もっともっと苦痛に耐えている人たちのことを思うと、こんなことで弱音を吐いたり悲観するなんて、とんでもないことです。

この痛みは、時間はかかるかもしれませんが治るでしょうし、生活の不便もあまりありません。

 

今は、この膝の痛みとともに、それでも今のできる限りのことをして、楽しく暮らしていけばいいのだと思います。

今日は近場の天然日帰り温泉に行きました。膝の痛みに効果があるかと思って行ったのですが、いい気分転換になりました。車で10分の天然黒湯温泉です!!

こんなことでもなかったら、行こうと思わなかった場所です。

 

少し前に親知らずの歯が痛かった時、歯が痛くない時は幸せだったと思いました。

今は膝は痛いけど、歯は痛くないのだから、それは幸せなことだと思います。

 

幸せは、自分で見つけるものですね。

 

明日はアイアンガーの練習に行って、ひざの様子をもう少し確かめてみます。

私の身体という乗り物を、メンテナンスしてきます。

ということは、私はメカニック????

いいメカニックになるためには、勉強もしなくてはいけませんね。

ビフォアアフターを比べるために膝の写真を撮っておきました。


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 *記録の為に撮ったけど、見苦しいです。アフターの掲載はなしです。

 

アイアンガーヨガセンター 体験3回目 プロップスの効果

風邪は治りましたが、ひざの怪我

風邪はほとんど治ったようなのですが、まだ今までのような爽快感はなく、時々咳が出たりします。

朝起きるとき、今日の頭の痛さはどのくらい?と思うことがなくなったのが治ってきた証拠です。

朝5時半起床での食事つくりはこなしています。

 

体調不良の間、ヨガの自主練習はできなかったので、座法だけでもと思い蓮華座に取り組みました。

パドマアサナともいい、両方の足をしっかりももの上にあげてくみます。

 

そのせいでもともと膝を痛めていたのが、また傷めてしまいました。

 

やっと治ってきて、マリーチ・アーサナのBでも両方とも膝を曲げてできるようになってきていたのですが、今はヴィラーサナ(正座)も右ひざが痛くてできません。

こんな状態ですが、アイアンガーの体験3回目に行ってきました。

 

プロップスの効果

 

プロップスというのは、ヨガで補助に使うベルトやポルスター・ブロックなどのことで、アイアンガーヨガではこれを使うことが一つの特徴です。

 

今日の体験の練習が始まる前に、先生に右ひざの故障を申告し、練習に参加してもいいかをお聞きしました。

皆と一緒のポーズができないのは、ちょっと困りますと言われるかと思ったのです。

怪我をしている人は、一般の練習ではなくspecial care のクラスが別に設けられているからです。

 

一緒に参加することが認められて一安心ですが、どこまで膝をかばいながらポーズができるか心配でした。

 

最初に先生から、「今日は月末の週のため、リラックスを目的としたクラス内容です。」と言われました。

スティックを足指に挟んで傾斜板にのり、両手を上にあげていきます。

ポーズの名前が全部サンスクリット語なので、私はまだよくわからず周りを見ながら真似をしていきます。

壁に背を付け、壁に沿うようにして組んだ両手を上に上にあげていきます。

背中の僧帽筋は下に、肩を外旋してというのは、秋津のスタジオでもよくいわれていることです。

ブロックをはさんで内腿を後ろに押します。

かかとをしっかり感じます。

 

次にマットに戻って、ヴィラアーサナ バジュラアサナといわれて、さあ困ったと思いました。

正座はできませんと先生には話してあります。

ベルトで足首と膝上をしっかり固定します。膝にはブランケットの折ったものを裏に当てて坐骨の下には補助のブランケットを折りたたんでおいてあります。恐る恐る座ってみると、ベルトで固定されている膝が痛くありません。

どうして痛くないのかわかりません。

 

そのほかにもいろいろブランケットを使ってシッティングポーズをしましたが、痛くなくできました。

先生も、ひざは大丈夫ですかと時々聞いてくださいました。

痛くはないけど、血流がどくどくしているような感覚があって、どうかしらと思うような場面もありましたが、なんとかポーズについていけて驚きました。

 

これがプロップスを使うことの効果なのでしょう。怪我をしていてもポーズができます。痛かったら痛くなくなるまで、ブランケットを増やしたりロープを使ったりします。

 

シッティングを終えて、また傾斜板に戻って両手を上にあげて、身体の伸びを最初の時と比べてみます。

 

私は、ひざが痛くなくて座れたことに驚いて、ビフォア・アフターを感じる余裕がありませんでした。

 

ゴームカーサナ

今日の体験でやったアーサナをもうひとつ。ゴームカーサナ牛のポーズです。

背中で斜めに両手をつなぎます。

 

初めて聞くことがたくさんありました。

 

上のひじは天井に向けるとはよく聞いていました。

私は頭の上に載せるようにして、ひじをあげていましたが、耳に沿わせてまっすぐ天井に向かってあげるように指示されました。

それと、肩の外旋、下になるほうの肩もていねいにしっかり回すことも。

ただ手をつなぐことを目的にするのではない、正確な体の動かし方を指導するのがアイアンガーの方法なのです。それが、指導に一貫しています。

 

身体を見る

シッティングポーズの時、ベルトで膝の上を縛り、太ももの肉を手で後ろに回します。

そして、同じ太さかどうかを目で見て下さいと言われました。

その時、私の右ひざが腫れているのに気がつきました。

痛いとは思っていたのですが、外見でもこんなにわかるほどとは思ってもいませんでした。身体を感じることとはよくヨガで言われることですが、感じるだけでなくちょっと見てみるだけでも体の変化はわかるのだということです。

 

いままで、ちゃんと見ていなかったという発見です。

身体以外に、日常生活や人間関係などでも。ていねいに見ていないから気がついていないこと、きっとたくさんあるのでしょう。

 

そういうことにも、気がつく人間になれたらと思います。