*日本アイアンガー協会のホームページからお借りしました
八支則
ヨガの聖典、聖者パタンジャリが説いた「ヨーガ・スートラ」の中に出てくる、ヨガ哲学の基本的な教えで八つの段階・行法があります。
そのうち
ヤマ 禁戒 日常生活で行ってはいけない5つの心得
ニヤマ 勧戒 日常生活で実践すべき5つの行い
について書いていこうと思います。
これは、読むたびに心して実践したいと思うのですが、すぐに忘れてしまいます。
トイレにでも書いた紙を貼ろうかと思ったのですが、それは家族にもこういう気持ちになってほしいという「欲」があるからだと気がつきました。
そういう邪心はあるのですが、毎日必ず目に留まることを考えると、トイレに貼るのが一番だと思うのです。
自分が良く見る壁にだけ貼ってみて、それから手帳にも書いたりして、それでもだめならトイレに張ることにします。
引用はインドの伝統式ヨガスクール リシケシ・ヨガシャラのホームページ
が良くまとまっていたので、利用させていただきました。
ヤマ 禁戒の5つです
●アヒムサ(Ahimsa)/非暴力、不殺生
いかなる生きとし生けるものも殺してはいけない。行動、言葉、思考のレベルで他者に暴力をふるってはいけない。
誰に対しても怒りを抱かないこと。もとの語源は、”苦痛を引き起こさないこと”。自分自身を大切にすることから始まる
ここでヨガの哲学が深いなと思うのは、言葉の暴力、思考の暴力までも含めていることです。人を傷つける言葉を出さない事は当然ですが、無視したりすることも思考の暴力だと思います。
怒りの感情のままに、口に出してしまう言葉をもコントロールしたいです。
時に気持ちを傷つけるとわかっていての無視など、自分に許してしまいがちです。
自分にしてほしくないことは、他人にもしないという考え方同じですね。
自分と他人とを同一に見るという根底があるともいえます。
すべてがつながっているというヨガの思想です。
●サティヤ(Satya)/嘘をつかないこと
自分の利益やエゴを守るために、嘘をついてはいけない。ただし、他者を傷つけるようなことであれば、真実であっても言わ ない。その場合は、きちんと言わない理由を正直に言えばよい。第一にアヒムサ(非暴力)が優先される。
嘘をつかずに誠実でいるためには、言動、言葉、思考を日頃から一致させることを心がけ、自分に正直に生き、心が穏やかな状態でなければなりません。
嘘をつくと、それを正当化するために嘘を重ねることになります。心穏やかでいるためには嘘をつかないことに限ります。
正直でいることは、その責任を自分がすべて負うという覚悟と強さが必要となる場合があります。その覚悟と、結果は思いわずらうことなく瞬間に生きるというヨガの哲学が支えになります。
●アスティヤ(Asteya)/不盗
他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけない。自己中心的な行動はやめなさいという教え。
自分自身がちっぽけな肉体だと思うところから、その肉体の感覚を満たそうと執着が生じたり、名声やよい評判を得ようという エゴが生まれる。約束の時間に遅刻したり、行列に割り込んだり、 相手の話をきちんと聞かずに遮って自分が話すことも 他人の時間を盗んでいることとされ、アスティヤ(不盗)に反します。
物やお金、地位、名声など、常に変化し続ける外の世界には真の幸福はありません。
どのようなものごとにも、人間関係や楽しかった思い出さえも、執着しない状態でいることが一つの鍵です。
他人の時間を盗んでもいけないというのに、はっとさせられました。
気に沿わない人との会話で、おざなりに返答したりすることがあるのですが、それも相手の時間を盗んでいるのだと言えます。自分の時間も無駄にしています。
人と会い、話したり、教えたり、教えられたり、そのひとときひとときも、大切にしようと思います。
何かで読んだのですが、どんなふうに時間を使うかはどのように生きるかということだという言葉があります。
人の時間を盗まないで、時間を共有するときには楽しく豊かな時間にするように、その人との関係に集中したらいいのでしょうね。
家族との時間を大切にしたいです。
●ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)/禁欲
もともとは、性欲に代表されるような、エネルギーの無駄使いをしてはならないことをせず、生涯を独身で過ごすことが説かれていた。現代では、パートナー以外の異性とむやみに性的関係を持たないことの他、利己的な欲を満たそうとするのは避けることとされている。生命エネルギーは必要なところに集中させることが禁欲の本質。
私にとっては、食欲とかテレビをだらだら見ることなどのコントロールが大きな問題となっています。
なかなかうまくいかないです。
生命エネルギーを浪費して、消化器官を消耗させたりしています。
自分を甘やかして、甘いものとかたわいもないドラマとかを自分へのご褒美としてしまっています。
少しずつ、少しずつ、進みます。
●アパリグラハ(Aparigraha)/不貪
貪欲さを捨てること。次から次へと湧き起こる、尽きることのない欲望に身を任せない。何かを必要以上に所有しない。
程度を超えた欲を持たず、独占欲を抑えることでもあります。必要以上に所有すると、執着がわいて、それを失うことへの恐れや他者への怒りと嫉妬を生みます。アパリグラハの実践は、外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらし、寛容になり他者から奪うのではなく、与えることにつながります。
必要以上に所有しないこと、これこそシンプルライフです。
断捨離もそうです。
必要以上に持たないことで、身の回りも心も頭の中も快適にすることができます。
貪欲さの反対は、他者に与えることができることを喜ぶ気持ちでしょう。
その境地を目指します。
貪欲は醜いですものね。
以上日常生活で、してはいけないことでした。