70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

夢の中で家出 つながっている命 今年の初夢ってこと?

10代の私

夢の中で短大に進学していました。

でも大学には一度も通学せず家を出て就職しようとしています。

母親に叱られた私は思いきって「疲れた」と本音を口に出しています。

 

この夢にはどんな意味があるのかしら。

「疲れた」と口に出せずにいい子を演じていた若い頃?

そんなこともないと思うけど。

疲れたのは子育てとか子育てと仕事を両立させようと思っていた頃?

いいえ、その頃は若くて疲れたと思わなかったし、

仕事は面白くて楽しいことの方が多い職場でした。

 

夢の中で短大をやめて家を出る決意を母親に告げています。

すると母親から「お金を返して」と言われ郵便局にお金を下ろしに行くことに。

 

子供の頃郵便局の隣は魚屋さんでした。

毎日のように父親の晩酌のためのお刺身を買いに行かされた思い出。

いつの間にか夢では魚屋さんでの買い物風景に変っていました。

ぶりの照り焼き用を1000円、1万円札でおつりをもらおうと思っています。

魚屋さんはやけに親切でぶりのさばきをお客の前でエンタメショー。

切り身に塩を揉み込んでいるところで目が覚めました。

 

死とは何か

南嶺管長は生と死には区切りがないと仰います。

生まれたときが命の始まりで心臓が止まると死だと思われているけど、

命はずっとつながっている。

その考え方がわかりませんでした。

でもちょっとわかる気がしてきました。

生まれる前からの因縁で身体を与えられ、

肉体がなくなってもその命はつながっているということ。

去年母ががなくなり、明日が納骨です。

だから夢の中で母が出てきたかもしれないです。

肉体はなくなり、価値観が違うと反発をしたりしても、

私の中に流れているのは母の命の一部なのかもしれないです。

もっと広げたら世の中のすべての命がつながっているのかもしれない。

血がつながっていると言うだけでなく、

その人と知り合う、その人の本を読む、その存在を知る、

それだけでも影響を受けて今の自分ができあがっているという考え方です。

それが仏教で言うところの無我ということだと思うのです。

 

仏教では自他の区別もないから利他の気持ちがうまれるし、

すべての命がつながっているから虫やなどすべての生き物の殺生を禁じています。

 

人間は一人で生きているのではない、

すべてつながっていることをこれからも折々に感じることでしょう。

 

すべての悲惨な状況に共感し続けると、共感疲労のおそれもありますから、

その辺は注意が必要です。

 

当たり前の生活が送れていることに感謝しながら、

そうでなくなったときも、失ったことに執着しない気持ち。

それが仏教が教えてくれる平安な生活ではないでしょうか。