70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

【100分で名著 般若心経】佐々木閑 著 お釈迦様の仏教とは違う大乗仏教の世界

神秘的で非合理的

サブタイトルは「見えない力」を味方にする

般若心経はお釈迦様の教えとは違う大乗仏教の経典

大乗仏教とは、在家でも厳しい修行をしなくても救われる教え。

般若心経の中では呪文によって神秘的なパワーがもらえるとあり、

自分以外の力によって救われることになる。

 

そもそもお釈迦様の教えの最大の特徴は

自分の心の苦しみを自分の力で解決する、「自己救済」の宗教

...自力で修行し、自力で煩悩を滅し、自力で自分を救う

...その実現のためには毎日瞑想を続け、悟りを目指して自分の心と向き合う

それは厳しくてハードルが高いから

大乗仏教では「仏」とか「如来」と名のつく聖者(釈迦、阿弥陀、薬師、大日など)や、

「菩薩」と名の付くブッダ候補生(観音、文殊、普賢、地蔵など)が数多く活躍

...大乗仏教創始者達は、できるだけ多くの人が自分たちに帰依してくれるよう、教義の間口を広げ、在家・出家を問わず、どんな人でも簡単にブッダを目指すことのできる道を様々に考案

 

私が今まで疑問に思っていたことがだんだん解明されてきます。

お釈迦様の話の中でもインドの神様が出てくるし、

日本の仏教ではお釈迦様以外の「仏」がたくさん出てくることです。

なんとなくおかしいなぁと思っていたのですが、

日本の伝統仏教は、お釈迦様の仏教とは違うと思っていいのです。

 

お釈迦様も合理的な哲学とはいいながらも、

輪廻転生の考えに縛られています。

だから日本に渡った仏教も日本の古来のアニミズムの影響を受けて当然です。

また中国から渡ってきたとき、すでに老荘思想儒学の影響を受けたりしたのではないかしら。

 

オリジナルが改変されていたとしても、

「改悪」「まがい物」などと思わなくてもいいのかも。

 

般若心経には神秘の力がある

そこに現われてくる最も大きな違いは何かといえば、

それは「神秘です。『般若心経』に充溢しているエネルギーの源泉は神秘の力なのです。一方「釈迦の仏教」の場合、外部世界に神秘の力はありません。この世は隅から隅まで論理的因果性で動いているのです。

極論すれば般若心経は呪文だと言ってもいいのです。

これさえ唱えていれば苦しみはすべて取り除かれる、

つまり他力と言ってもいいのでしょう。

それならなぜ自分の修行で悟りを開くことを目指す禅宗でも、

般若心経を有難く大切にするのかは疑問です。

 

佐々木閑先生のスタンスがそれを考えるヒントになります。

 

私は正真正銘「釈迦の仏教」の信奉者で、論理的、科学的なものの考え方を人生の第一原理にしているのですが、そんな心の奥底には、いつも自分を守ってくれている不思議な存在を感じながら生きています。・・・・・

ともかく私は神秘の力に支えられながら、「釈迦の仏教」で生きている人間なのです。

たしか南嶺管長も小さな観音像を修行中のお守りのとして大切になさっていたとか。

 

大きな石や樹木、山に神秘性を感じる日本人の精神なのかもしれません。

 

でも私にはそういう感覚は皆無です。

自然の力に感動したことってあるかしら?

美しいとは思っても深く心を揺さぶられる経験はない。

だからそんなに旅に出たいとも思わないのかも。

 

現代の子供達ならもっとそうではないかと案じます。

自然に対して無感動な人間になってしまっているのでは。

 

それでも苦しくて自分の力ではどうしようもなくなったとき、

神秘の力を頼りたくなる方が救われるかもしれないです。

そこに現在の社会での宗教が必要性が出てくるのかもしれない。

 

迷信と神秘

神秘なものに救いを求めると、カルトとか迷信の問題が出てきます。

その辺が私が宗教を遠ざけたい気持ちかも知れないです。

 

迷信と神秘の本質的な違いに佐々木閑先生は明確な答えを出しています。

迷信は「因果関係を想定してはならない二つの現象の間に、誤った因果関係を想定すること」ですから、それは本質的に「虚偽」つまりウソです。それはわれわれに誤った行動をとらせる元になりますからよくないことです。これに対して神秘は、それぞれが心の中で感じ取る、「世の因果関係を超えた不思議な力や存在」ですから、それは一人ひとりの感性に依っています。・・・神秘は決して、迷信のように拒絶されるべきものではない

 

つまり般若心経で呪文を唱えて苦しさから逃れるのは、

因果によるものではなく不思議な力によるものだから、

他人がどうこう言えるものではないってことになります。

 

読経や写経で気持ちが軽くなったり充足感を得たら、

神秘の力でそうなったのだと自分で納得すればいいのです。

 

佐々木閑先生は神秘の力の使い方について

自分の中の「理性で考える」部分と、「神秘を信じる」部分を明確に役割分担するのです。・・・合理的な論理性を持って判断すべきことがらは、意志でしっかり判断します。そして、判断したことに対して自信を持って進んで行くためにーーいわば”後押し”としてーー神秘の力を求める

 

非科学的なこともたくさんある仏教を、

こういうやり方で信じる方法もあるんですね。

 

佐々木閑先生は神秘は「心のパワーを生み出す触媒」とも仰っています。

病は気からとも通じる人間の神秘ですね。

 

とにかく大乗仏教がそれなりの必然性を持って発展してきたことがわかってきました。

 

翌年には再放送もされた名講義だったようです。