お釈迦様の仏教
佐々木閑先生は仏教学者ですが、今の日本で大勢を占めている大乗仏教ではなく、お釈迦様が説いた仏教を研究しています。
それこそが、神秘的な力を信じることのできない現代人が生きる苦悩から逃れる方法だと信じています。
お釈迦様の仏教は
苦しみを消す唯一の方法は、自己鍛錬、つまり自分で修行を積み上げていくことにより自分自身を変えることだ。それしか道は無い。
大乗仏教では、
たくさんの人を1度にしかも厳しい修行なしで救ってくれる。
その一方で私たちをすくいあげてくれる外部の不思議な存在を信じなければ意味がない、神秘的な世界を心の底から信じることができるんですかできる人にしか役に立たない宗教である。
どちらを信じてもかまわない、人それぞれに苦悩の種類も違うし考え方も違うので、自分に合った方法を選べばいいとします。
この本の目的と主張
科学的な教育を受けて育った現代の人は、すがる神を持たず「一切皆苦」の世の中で辛い思いをしています。
同じ悩みを持ったお釈迦様はそれを解決する方法を深い思索の後に見いだし、それを人々に教え広めたわけです。
それが人間にとって本質的な変わることない悩みだったので、2千数百年たっても人々に信仰されているのです。
佐々木閑先生は
特定の宗教を心底進歩しているわけではない普通の人たちが、人生をよりよく向上していくために、釈迦の仏教が役に立つ
と思い、ご自分の研究対象の「律」はそのシステムを保持していくルールだと位置づけています。
その釈迦の仏教が採用する、出家と言うアイディアが充実したし充実した人生を形成していくための具体的な方法私たちに示してくれる
この方法は現代でも、いいえ現代にこそ強力な身を守る方法になるとします。
出家的とは
佐々木先生は出家を
世俗の生活を送っていたのでは手に入らない特別なものを手に入れるため、世俗的喜びを放棄して特殊な生活へと転身した人たち
と定義します。
釈迦の仏教では本来そうだったのですが、大乗仏教ではかなり違っています。
出家した人は財産も家族も持たないはずですが、日本では全く違いますから。
また、
出家的とは宗教だけでなく、私たちの生活のあらゆる層でも見られます。
例えば、真理を目指す科学者もそうです。
また、フリーターとかニートといわれる人も、一般社会の規範から離れて違う価値観を追求する人たちとも言えます。
自分の好きなことを追求する人を、布施でもって支える社会が多様性のある社会を作ります。
そういうお布施の文化のない日本では大きな科学的大変革が起きなかったとも佐々木先生は考察しています。
出家的人生 とお布施
定年後仏教に関心を持ち、古代インドのサンスクリット語を学びたいという方達のことを紹介しています。
人生のどんな時期にでも出家的生き方はできるのですが、社会的責任もあるとします。
お布施をもらって生きていくのですから、
・情報を開示
・常に謙虚
が求められます。
政治家は、直接の生産行動をせずに人々の幸せを追求する「出家的」な人のはずなのに、情報開示もせず謙虚でもないと批判します。
大いに同感です。
物理学者からニートまで、出家的に生きている多様な人々によって社会のイノベーションは起こります。
その人たちを「お布施」で守っていくことは、回り回って自分たちの社会をよりよく刷新していく事にもなるのです。
自分は出家的生き方をするのか、お布施をする立場なのか。
いろんな場面で自分に問うてみたいと思いました。