以前やましたさんのブログで、テレビや新聞をほとんど(かあんまり)見ないし、パソコンだって情報収集のために使うんじゃなくて、発信のためにしか使っていないようなことが書いてあった。情報も断捨離ってこと。
私には無理だなあ、っていうかどうして情報を断捨離するんだろうと、その意味が分からなかった。
最近読んでいる「自力整体」の矢上裕さんも同じことを書いている。
わたしの実践していることをお教えしましょう。・・テレビ、新聞はあまりみません。映画館まで行って好きな映画を楽しむか、本を読みます。自分で情報を選ぶのは好きですが、人から与えられっぱなしの情報入りません。静寂が好きです。
いつもすぐテレビをつけてしまい、寝る時も子守唄がわりにつけたまま、夜目覚めた時も導眠剤がわりにテレビをつけている私は、一種のテレビ依存症なのかもしれない。
どんな時も情報を流し込み続けることが「得」だとでも思っているのだろうか?
情報不足、知識のなさへのコンプレックスからの行動だろうか?
芸能情報がむやみにくわしくったって、自慢になんかならないのに。
何を知りたいのか、何が自分の「快」なのか、よくわかっていないのだ。
断捨離の「不要」「不適」「不快」の探求って、それによって人生が変わるって、ここに肝があるのかもしれない。「快」がなにかわかれば、それ以外のものがほしくなくなるし、それ以外のことに時間やエネルギーを使うのがもったいなくなる。
何がもったいないって、ただ流し込んだ情報をためて無駄にしていること。
必要な情報だけで、その中身を深めることのほうが自分らしいまっとうな生き方ができるんだということ。
本屋や図書館でも、本当に読みたい本、関心のある分野が分からなくなって途方に暮れることがある。自分が何を知りたいのかが分かっていない、つまり自分が分かっていない。
断捨離はまさしく、自分探しの道。
まずは、垂れ流し情報でなく、自分のほしい情報と、その奥の深さを楽しみことから、日常の質を高めていこう。
部屋の片づけだけではない、断捨離のおもしろさ。