70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

チェアサルワーンガアサナに入れました!!

体の不調を申告

道場では毎回一番初めに身体の不調を申告します。

女性の場合は生理があると、できないポーズがあります。

逆転のポーズです。

アイアンガーヨガで初めてそういうことを知りました。

もっともジムのヨガクラスとかでは、逆転のポーズまでいかないですね。

男女混合のクラスで、生理中を聞くこともはばかられるでしょう。

 

こんなところも、アイアンガーの厳格なというか細かく身体に寄り添うところです。

 

わたしは毎回手をあげて、ひざの故障を申告します。

 

少しずつ良くなってきていること、以前はできなかったヴィラアサナで座ることができるようになったなど変化も伝えます。

良くなったので、ウッターナを少しやってみたらやはり痛くなったことも伝えました。

 

無理はしないよう、座るときは坐骨を高くして組んだ脚にはサポートをするように指示されます。

だから、練習中他の人と違うプロップスの使い方を自分でも考えてできるようになってきました。

 

いつまでも指示されてするのではなく、理論をわかり自分で考えることが道場では求められているのです。

これは、生き方についても同じですね。

 

ヨガを学びながら人生も学んでいます。

 

入門クラス

入門クラスは、道場に通うことと道具の使い方になれることを目指します。

上級のクラスでは、アサナの名前を言われたら、それに必要な道具を用意して自分ですばやく準備しなければなりません。

それができるように、サンスクリット語でのアサナの名前を憶えることが手始めです。

初心者向けの本とかスタジオでは、日本語のアサナ名ですよね。

その方がわかりやすいです。「肩立ち」とか「鋤のポーズ」とか。

 

アイアンガーでは、ブランケットやブロック・ボルスターをたくさん使います。

その畳み方や枚数、置き方は身体に一番効果があるように決められています。

その上、個人の体格でも調整が必要になるので、自分に最適な準備を覚える必要があります。

 

私の場合は、ひざを痛めているので他の人は2枚でも3枚ブランケットを使います。

体調によっても必要なポロップスが違ってくるという繊細さもあるのです。

 

入門クラスでは指導の先生やアシスタントの方に教えていただけるのですが、上級のクラスではたくさんの参加者がいるのでそういうわけにはいきません。

(部屋いっぱいに定員30名で、キャンセル待ちまであるようです)

 

それらを入門クラスでしっかり覚えて、なおかつ筋肉も強くなり、身体も動けるようになってからほかのクラスに参加できるようになるのでしょう。

わたしもそれを楽しみに、練習に励みます。

 

別メニュー

入門クラスでも、何人かは別メニューになります。

膝の悪い私は、立ポーズは壁をつかいますし、風邪からの回復期には楽な練習内容にしていただきました。

体調が悪い時には、無理をしないことも徹底されます。

 

経験年数や年齢とか体力も考慮されています。

 

私は入門クラスでも、最後のほうはいつも別メニューでセツ・バンダアサナを長くしたりスプタ・バッダ・コーナアサナをしていました。

 

膝が痛いだけだから、肩立ちのポーズ(サルワーンガアサナ)は参加できるのではないかと思いましが、足とかの力が弱いからまだ参加できないのかなって理由を考えていました。

 

初めての許可

先回はじめてチェアサルワーンガアサナに参加できました。

以前他のヨガスタジオで経験したことがある、折りたたみ椅子を使ってのアサナです。

 

形に入るのはできたのですが、ポーズを持続するのはちょっときつかったです。

私がまだ参加できなかったのは、この持続する力がついていなかったからだとおもわれます。

 

ステップを踏みながら、身体に力と柔軟性をつけながらアサナが進められるのでしょう。

 

ただのリラックスと思っていたセツ・バンダアサナも、胸を開いて身体を柔らかくするためのアサナで、次に進むステップだったのだと思われます。

 

今までも肩立ちのポーズということで、いろいろなレッスンや自宅でもしたことがあります。

それは、似た形だけを目指していたのだなかと思いました。

 

アイアンガー師はこのアサナを解説して

このアサナを練習することにより、心は身体と魂に統合する。脳は聡明かつ冷静で、身体は軽く感じられ、喜びにあふれた輝きに満たされる。逆転のポーズは首と胸のまわりに新鮮で健康な血液を循環させる。このポーズは気管支疾患を緩和して、甲状腺副甲状腺を刺激する。(完全マニュアル)

 こんな効果があることを理解してアサナに取り組むことで、もっと効果的にアサナをすることができます。

 

一つ一つのアサナを大事に、これからも練習していきます。

 

20日ぶりのヨガ道場でからだ喜ぶ

久しぶり

家族や自分の身体の不調で、ヨガセンターに行くのが20日ぶりになってしまいました。

その間、気持ちも下向きでただただ家に引きこもっていました。

ヨガセンターに行けなくても、家で自主練習をすることもできるのに、それも先延ばしにして、すきな外国のテレビドラマを次から次に見ることで時間をつぶしていました。

 

身体に聞く

身体を甘やかしているのか、体調が戻らなくて動き出すエネルギーが湧いてこないのか、どちらなのかわかりませんでした。でも、おもいきり甘やかすことにしたのです。

最小限の家事だけをしていました。

食べることは大事だからと、3食はしっかりつくりました。

環境も大事と、少し気分が良くなると寝具の洗濯や部屋の掃除もしました。

 

以前風邪を引いた時、治りかけに入浴してぶり返したので、お風呂には慎重になりました。

 

そんな風に暮らしていても、困ることはありません。

家事って、最小限でもなんとかなるものです。

 

いままで、忙しくしていたのはなんだったのかと思うほど、家の中で静かに暮らしました。

 

ヨガセンターに行きたい気持ちも抑えたのは、欲を抑えているのだという実感もありました。

動き回る、出かけるという欲もあまりでなくて、穏やかな心でいることができたように思います。

そんなに欲張らなくてもいいのだと、思えました。

 

道場

昨日、久しぶりにヨガセンター行くことができ、ここは私の道場だと改めて実感しました。

気持ちのいい空気と、先生と、参加者に、心が清められました。

身体も、気持ちよく開かれリラックスし、エネルギーが湧いてきました。

 

私の生活の中心に置き、今年はアイアンガーヨガを深めたいと心に誓いました。

遅くなりましたが、今年の目標を見つけることができました。

 

他のことに気持ちを動かさずに、大事にするものに集中しようと考えました。

携帯のゲームやSNSなど、あれこれ手を出していたことを断捨離しました。

 

具体的には、ポケモンGOを削除し、FaceBookやTwitterもやめることにしました。

道場への行き帰りのバスも、そこからもうアサナのことを考えたりその日の稽古を復習したりして過ごすのです。

 

なんとなく取り入れていた情報や時間つぶしのお楽しみをやめて、シンプルに暮らすことにしました。

 

生活の中心にはヨガ道場を置くことにします。

 

胸のゼコゼコ

長引いた風邪は、最後に胸のゼコゼコが残っていました。

痰が残っているようで、咳払いをするそれがきっかけで少し咳き込んでしまうのです。

それが、回復後初めてのヨガで胸を開くアサナを長めにしたら、きれいになくなりました。

 

実は病気の最中にヨガをしたらよいかわからないし、する気持ちにもならなかったですが、回復のためにもヨガをしたほうが良いようです。

 

道場で風邪の時もしたほうがよいアサナを教えていただきました。

ただのリラックスかと思っていた、セツ・バンダアサナやスプタ・バッダ・コーナアサナが身体を整えるアサナなのです。

 

ヨガに対する認識をあらたにしました。

 

「ミス・シェパードをお手本に」 生き方のお手本をどう見るか

映画のあらすじ

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女性雑誌で評判の良い映画「ミス・シェパードをお手本に」を見てきました。

ホームレスで路上駐車のバンで暮らす高齢女性のお話です。

 

ほとんどが実話だというのですが、この偏屈な女性を自分の家の庭に駐車させて14年間共に暮らしたという、劇作家とのお話です。

 

過去に何かありそうで、ミステリアスな言動があります。

 

予告編でも、物思わせぶりにパリでのピアノ留学のエピソードがありました。

 

評判ほどでは

でも、そんなにドラマチックな出来事が描かれるわけでもなく、終わった時には物足りなさを感じました。

実話なんだから、そうなんでしょうね。物語を無理やり作っていません。

 

わたしは彼女の栄光の過去が明らかになって、ものすごく感動するのでは、と期待していたのですが、そういう話ではないのです。

 

見た後、元気が出る(彼女の生き方に元気をもらえる)のでは、とも期待したのですが、それもなかったです。

 

同じだと思ったこと

最後の劇作家のモノローグの言葉が心に響きました。

「彼女は物語を作ったのではなく、彼女の生き方そのものが物語だったのだ」

というような言葉でした。

その時私が思ったのは、ひとは大きなドラマがなくても、そのおかれた場所で精いっぱい生きることで、ひとりひとりがそれぞれの物語を作り上げていくのだということです。

 

物語は向こうからやってくるのではなく、自分で作り出していくという主体的な生き方をしたいです。

 

映画のヒロインはカトリックで、その修道女見習いをしていたということです。

カトリックの教義をよく知らない私は、ヒロインの心持ちが今一つわかっていないかもしれないです。

 

でも、日本のカトリック修道女の渡辺和子さんの「置かれたところで咲きなさい」という言葉を思い出しました。

 

同じようなことを言っています。

 

置かれた境遇を愚痴るのではなく、その場で自分らしく生きて最後に笑って見せた主人公は、「臭いオンボロ車」という場所でも咲いていたのでしょう。

 

有吉作品でも

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有吉佐和子作品で「私は忘れない」をちょうど読み終えたところでした。

昭和34年の新聞連載小説でした。高度経済成長に日本が浮かれているころ、離島では電気もままならない、テレビもない生活をしていました。原始的という言葉さえ出てきます。

 

スターを夢見るヒロインがそんな離島に滞在し、離島の厳しい生活とたくましく生きる島の人たちを知ることになります。

 

自然の猛威を何度も受けて、それでも助け合って生きている島民の姿に心打たれ、ヒロインは自分の置かれた立場で文句を言わず精いっぱい頑張ろうという気持ちになります。

 

映画のヒロインとこの小説のヒロインに共通するのは、ないものねだりをやめるということではないでしょうか。

 

自分に置き換えてみました。

今の家族・職場などの環境に文句を言わないことがまず一番ですね。

自分のできる精いっぱいのことをして生きることで、自分の物語を作っていけます。

 

他人任せ、他人のせいにしない生き方です。

 

私がわかっていないのか

映画を観終わってちょっと失望した私ですが、この映画で描かれていたことをわかっていなかったのかと反省しました。

 

日常生活の小さなことの積み重ね、心の機微を描いていたのに気がつかず、大きな事件を待っていました。

 

日常生活を丁寧に、というのが私の望む生活だったはずなのに。

 

日常をひたむきに

映画のヒロイン ミス・シェパードもたぶん体が痛いところもあったりしたでしょう。

不良たちに怯える不安な夜もあるなかで、安易に甘えず、自分のやり方と生き方を通してひたむきに生きました。

 

最後に「きれいな手だから」と劇作家に手を差し出した時、彼女のそれまでは汚いからと遠慮していただろう気持ちに気がついて、切なくなりました。

 

もう一度見たら、もっと細かいところまで鑑賞できるかもしれないです。

 

わたしには家があり、自分で掃除もできることに感謝です。

(自分の思うようにできないところもあるけど、自分の気持ちだけできれいにできるところがたくさん、たくさんあるのに、目をつむっています。反省。)

有吉佐和子 ひたむきな女性を書き、ひたむきに生きた人

読書室

 
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元司書の方を講師に女性作家と作品について学ぶ会で、事前に作品を読んでいかなくてもよくて、お茶とお菓子も出る気軽な会です。

 

もう数年続いているので、たくさんの女性作家を取り上げ、その作品と作家の生き方を取り上げてきました。

 

講師の方の準備がすばらしく、明治から昭和にかけての女性作家の生まれた年と死んだ年を年表に並べてくださいました。

同時代に誰がいたのか、終戦の時何歳だったか、などが一目でわかります。

 

終戦の時、子供だったか、思春期だったか、数年の違いでものの考え方を大きく変えてしまうようです。

 

作家の生い立ちを知ることで、作品に込められている思想を探る手がかりになります。

 

有吉佐和子

今回取り上げた有吉佐和子は、昭和20年の終戦の時、14歳で静岡に疎開していました。

本をたくさん読む早熟な子供で、父親の仕事の関係でジャワに住んでいたこともあり、物事を客観的に見ることができるようでした。

 

大学在学中から「演劇界」の懸賞俳優論で入選したり25歳で芥川賞候補となるなどし、「才女」と言われます。

でも「才女」とは実生活からではなく、頭の中で物語をこね繰り回して作り上げたというような揶揄する意味合いがあったらしいのです。

男性中心の文壇の中で、まっとうに評価されなかったらしいとは知りませんでした。

 

たくさんの映画化された作品、社会的にも影響力のある「恍惚の人」「複合汚染」などをかいていて、文壇でも大きな存在で尊敬されていたような印象がありました。女性にだけ人気だったのでしょうか?

女性の一代記って、男性は読もうと思わないのでしょうね。

 

私たち女性にとっては、勇気をもらったり、一緒に怒ったり悲しんだり、人生を豊かに生きることを教えてくれる大切な作品がたくさんあります。

有吉佐和子の作品もたくさん読みました。

 
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借りてその日のうちに読み終えました。面白い!!

紀ノ川

今回はたくさんの有吉作品のなかで「紀ノ川」「有田川」「鬼怒川」の3作品を取り上げる予定でしたが、彼女の生い立ちと「紀ノ川」だけで時間が無くなってしまいました。

「紀ノ川」は彼女の自伝的作品なので、どんな気持ちで自分の母親・祖母・そのまた祖母という女性たちを描いたかを話し出すと、話題と意見が尽きません。

 

時代の制約の中で、どんなふうに抗い、従属し、反抗していったのかです。

 

賢さ、心の深さ、弱いと見せて周りを取り込んでしまう強さなどが語られます。

 

命を削って書き続ける

有吉佐和子は幼児から病弱だったらしく、作品を書き上げると精根尽きてしまうのだそうです。作品に書いた女性同様、ひたむきに書き、生きたといえる生涯です。

 

そんな風に命を削って書くところや、死んだあとの世評が厳しかったことなど林芙美子と似ていると講師の方のお話がありました。

 

私がそれと対照的だと思ったのが宇野千代です。

同じようにひたむきな女性を書いていますが、作家の性格は明るく長寿でした。

彼女は書くことに行き詰った時、中村天風の天風会に入り「心身統一法」でまた書けるようになったそうです。

天風は日本初のヨーガ行者と言われて、宇野千代はヨーガをしていたともいえます。

 

才能のある方が命を削ってしまい、道半ばで倒れてしまうのはもったいないと思います。

かといって、みながヨガをして元気で長生きをしましょうと言うのはちょっと違います。

 

人間ってそんなに簡単単純なものではありません。

だから、たくさんの小説が書き続けられ、私たちに感銘を与えてくれます。

 

私も、「ヨガをしていれば身体は健康になり心も穏やかになって何もかも解決します」という短絡思考にならないように自戒します。

 

ちょっとヨガをしてその効果を実感すると、他人に偉そうになってしまいがちだからです。

 

 

 

 

 

アーサナの単語登録で入力が簡単に 感謝です!

アーサナ名の混乱

ヨガのアーサナはいろいろな名前で呼ばれます。

  • 下向きの犬 (日本語)
  • ダウンドッグ (英語)
  • アドムカシュヴァナーサナ (サンスクリット語

音を伸ばすかどうでも違ってきますし、子音と母音が重なる場合にリエゾンとか連音化の問題も出てきますね。

 

どんなふうに書くか、私もルールを決めていなくてその場の気分でかいていたりしました。 

 

サンスクリット語

アイアンガーの道場では、アーサナサンスクリット語で呼びます。

そしてアーサナの名前をきいたら、そのために必要とするプロップス(ベルトやブランケット)をすみやかに用意する必要があります。

サンスクリット語での名前を覚える必要があります。

一つずつ単語の意味を覚えて、その組み合わせを考えます。

 

例えば パールシュヴァ:横腹 側面

    ウッターナ:究極の伸びの強さ

    バッダ:縛られた 捕らえられた

    サルワーンガ:全身

実は今まで、最初の単語が同じなら、似たようなアーサナかと思っていたのです。どうもそうではないらしいということが度々あり、混乱していました。

意味を学んだら、そういうこともなくなりそうです。

   

ブログではどうしようか

ヨガに関することを書くとき場合によって違う表記になります。

私も、アーサナと書いたり、気分でアサナだったり。

その時私の頭の中で話している先生の口調や、その知識を得た本によってちがうのかもしれないです。

なるべく統一したほうがよさそうです。ルールを決めることができるかな??

これも、自分軸を作るってことのひとつかな。

 

アーサナ名の単語登録が便利

サンスクリット語で入力するのに、強力な武器を手に入れました。

ヨガのアーサナ名を単語登録してくださったのをみつけました。

あどj  :アドー・ムカ・パスチモッターナアサナ

あどjj :Adho Mukha Paschimottanasana

 

こんなふうに、最初の2文字を入れてからjをつけることで単語変換します。

jひとつで日本語です。jjと二つ付けるとローマ字表記のサンスクリット語に変換されます。

 

「せつj」では候補として「セツ・バンダ・サルワーンガアサナ」「セツ・バンダアサナ」と二つ出てきます。

 

これからブログを書くときに使わせていただこうと思います。

 

ブログへの感謝

単語登録のデータ作り、登録方法を教えて下さったのは

yogaforall.exblog.jp

京都駅の近くで、アイアンガーヨガのインストラクターをしていらっしゃる山口さんです。

 アイアンガーヨガのあらゆる情報をすべての人に!

というコンセプトで情報を発信されています。

 

めずらしい男の先生です。

アイアンガーヨガがとても好きだということが伺える記事がたくさんありました。

 

実は自分でもコツコツ単語登録しようとしていました。アドー・ムカ・シュヴァーナアサナしかしていなかったのですが・・・・

自分で単語登録しなくてすんで、助かりました。

 

ありがとうございました。

他のアイアンガー関連の情報も参考にさせて頂きます。

ヨガ道場に通って一か月 アイアンガーヨガセンター

お誕生日でした

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  *まだまだ未完成ですが、ここからどう進歩していくかのスタート地点です。膝を痛める前です。

11月が誕生日で、64歳になりました。

この月からヨガセンターに通うことにしたので、

「私は64歳からアイアンガーヨガを始めました」ということになります。

将来振り返ってみて、トピック的な年になると思います。

とはいっても、明日死んでしまうかもしれない身体だということは忘れないようにします。

 

断捨離に出会い、ヨガに魅かれていき、銀座のうちこヨガに通うようになって数年たちます。

いろいろなところで稽古していましたが、これからアーサナの練習はアイアンガーヨガセンターをマイ道場として定期的に通うことに決めました。

 

タイミング

10月に久しぶりにひどい風邪をひき、ひざも傷めていたのですが、道場を決めるいいタイミングだったと思います。

薬やお医者さまに頼らず、じっくり自分の心と身体に向き合う時間でした。

生活とヨガについて考えました。

多方面にあれこれと外に向かっていく「欲」もなくなっていたように思います。

 

体調に自信過剰になることがなく、年相応におとなしく稽古を始めることができたと思います。

変に「ヨガやっていました」と見栄を張ることなく、体調悪いんです、ひざが痛くて座ることができません、というスタートラインに立つことができました。

 

出来なくても仕方ない、という素直で謙虚な気持ちで道場に通い始めました。

謙虚な気持ちって、忘れがちです。

アイアンガーの道場では、ホントに初心者でした。

1ヶ月経っても、道具の出し入れにもたもたして、周りの方に助けていただいてます。 

 

条件的に

他にも好都合なことがいくつか重なり、道場に通うことにしました。

仕事やほかの用事も整理でき、家事などの分担や役割も時間的に融通できるようになりました。

通うための交通機関がわりと便利なこともわかりました。

今からしばらくは通い続けることができるという見極めができたのです。

経済的なこと、体力的なこと、これも今しばらくは継続できそうです。

 

もっと早くから始めていたらと思いがちですが、今から始めることができることに感謝です。

以前通っていたホットヨガのレッスンの最後は「今日ここでヨガができたことに感謝です」と言う言葉で締めていました。

私も今日ヨガにかよう道すがら、「ヨガに通うことができることに感謝」っていう気持ちが自然にわいてきて幸せだなあと思いました。

 

ヨガに通えていること、それができるだけで生活が明るいのです。

 

自分の体調もですが、家族が誰か病気でもなかなか家を出ることはできません。

いろいろなことに本当に感謝です。

 

アイアンガーとアシュタンガ

今までいろいろな先生の、いろいろなヨガのクラスに参加したことがあります。

アイアンガーを学んでいるという先生に教えていただいたこともあります。

でも、どちらかというとアシュタンガのようなどんどん動いていくヨガのほうが好きでした。

汗を流して、最後にドテって倒れ込むようにシャバアーサナに入っていく解放感が快感でした。

 

マットさえあれば道具を使わないで体一つで動くことが、ヨガの魅力的だと思っていたのです。

 
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アイアンガーヨガではベルトやブロックなどプロップスを使います。

そういう道具を使うのはシンプルでないというマイナス評価をしていました。

 

その私がアイアンガーヨガを学ぶようになったですから、不思議に感じます。

 

ヨガの練習をして何度もひざを痛めたりしたのは、私の不注意と不勉強のせいです。

思い込みが激しかったり、がさつに動いてしまう性格が、なかなか直りません。

そういう私には、プロップスを使いながら、怪我をしないように慎重に進めていくアイアンガーが向いているのかもしれません。

 

先生たちも尊敬でき、間近に見ることができるのはありがたいです。

何年か前、今年の目標は「ライブ」に参加することだと思い、断捨離セミナーに行ったり銀座ヨガに参加したりしだしました。

 

毎回の稽古で先生方のアーサナを見、お話を聞くことは上質の「ライブ」に参加しているようです。

 

生活の中に

道場で正しい足の使い方を学び、傷めた膝をじっくり直していきます。

 

アシュタンガの動きも楽しみながら自宅で練習し、魂の乗り物であるこの身体のメンテナンスをしていきたいと思います。

 

立っているとき、親指と小指の根元を感じ、かかとで強く押すことを意識します。

電車を待ちながら、書店の立ち読みでも、思いついた時にしています。

(道場では、「強く」「できるほどに」という言葉がくりかえされます。)

 

パソコンに向かって座っているときは「坐骨」が感じられるように。

モールでの買い物に疲れて椅子に腰かけるときだって「坐骨」です。

つい忘れるのですが、思い出すたびに意識して、無意識にできるようになれたらうれしい。

 

台所仕事をしながら両手を上に思いきり伸ばしてみたり。

ちょっと壁があったら、アルダ・チャンドラアサナ(半月のポーズ)でひょいと立ってみます。

 

生活の中でヨガ的な意識をめぐらせていくと楽しくなってきます。

 

体も心も軽く、静かで穏やかなのが理想です。

 

 

 

 

見間違い 自力で健全な大人を目指す

ちょっと近眼 もしかして老眼


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思い出の飯山の小路 目にも優しいでしょ?

 

わたしは車の運転と字幕付き映画を見るときは、メガネが必要です。

パソコンと読書、普段の生活には支障がない程度の近眼です。

高校生からの近眼のせいか、老眼ってあまり感じたことがありません。

中年のころ、夕方の新聞が読みにくいなって感じたのが老眼を意識した最初だったと思います。

その後、特に困ることもなく長時間のパソコンに目が疲れることはありません。

はっきり見えなくても、だいたいのことは何とかなるものだと感じて日常生活を送っています。

見間違い

ブログを読んでいて、おもしろい見間違いをしました。

「自力」が「ヨガ」に見えたのです。

自力で健全な大人を目指す  は  

ヨガで健全な大人を目指す

でも意味が通りますよね。

ヨガのことばかり考えているから、こんな見間違いをしたのでしょう。

 

と同時に、はっきり見ないで適当に自分の都合の良いように読んでしまっているのに気がつきました。気がつかないけど、そういうことをよくしているのかもしれません。

 

読むことだけでなく、いろいろなことを自分に都合よく考えたり判断したりしているかもしれません。

 

遠い昔

今でも記憶に残る見間違い、読み違いがあります。

学生時代、学生運動は下火になっていましたが、大学やその近辺には過激派(といわれた人たち)の落書きがありました。

1970年の安保反対闘争が主な争点でした。

あるとき歩道橋を登ったその先に、「安保解体」とあったのですが、最初そうは読めなくてギクッとしました。

独特の角ばった字体で「へんとつくり」つまり部首が離れているのです。

「うかんむり」と「口」が離れていて、「女休(体)解体」というとんでもない読み違い!!

ふと、思い出しました。

あのころは純情でした。

 

眼のこと

読書をすると目がかすんですぐに眠たくなりますが、パソコンに向かっていても疲れることはありません。

ところが、スマホを見続けた後、パソコンに向かうと目がかすんで焦点が定まらないという現象が起きます。

今SUDOKUがたのしくて、スマホのアプリで毎日やっているので、発見しました。

 

スマホを見続けることは、とても目に負担になるのだと実感しました。

ほどほどにしなくては。

 

お風呂の中では、思いついた時、呼吸に合わせて首をゆっくり左右に動かします。

その時ついでに目線もしっかりつけるので、これは目のとてもいい運動になると思います。

お風呂での習慣にしたいです。

あ、お風呂の中でなくても、机の前でもできますね。