70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

ハードディスクが壊れた

パソコンを新しくした。今までは本体、モニター、スピーカーとそれぞれ電源が必要だった。それに、そばに置いてあるテレビとレコーダー、BOSEのwave music systemまであって、ケーブルだらけだった。

床が蜘蛛の巣状態だったからイケアでケーブルボックスを買ってきて、収納しようとしたけどケーブルタップが雷対応だったり、スイッチ一括方式(?)だったりで大きく重く、ケーブルボックスからはみ出していた。

今は便利なのがありますね。パソコンの中にテレビは普通に入っているし、もちろんスピーカーも。本体までも一体化されていて、電源につなぐケーブルは1本だけ。それにアンテナコードはいるけど、LANは普通に無線の方に接続されてしまう。(うちは有線の方が早いというので線はつないであるけど、無線の方に優先的につながれてしまうような気がする。)

とパソコンの話はそれくらいで、データの引っ越しをしているとき、外付けハードディスクが壊れてしまった。古いパソコンのマイドキュメントを全部入れて、その後お気に入りとかメールをとか作業していたら、プチプチプチと音がして壊れてしまった。慌ててほかのパソコンにつないでみたが、ほかのどのパソコンでもだめで、物理的に壊れてしまったみたい。

1Tのハードディスクの中には時間とお金をかけて撮りためた音楽、テレビドラマ、映画がいっぱい。でも、ここ何ヶ月押し入れの中にしまってあった。暑すぎたのかな?あまり使っていなかったのにこんなに簡単に壊れてしまうなんて!

実は、バックアップをとったということで古いパソコンの中身は削除してしまっていた。慌ててゴミ箱から元に戻したんだけど、容量が多くて全部がゴミ箱に入っていなかったらしく、データの多くが復元できなかった。

かなりショックだったけど、考えてみたらそれも執着でしかなかった。なくて困るモノって、家計簿くらい。それも、きちんとつけていたけどその結果を見て分析反省することもあまりなかったなんて思ったら、なくなって困るデータなんてなかったのだと思った。

なくなってスッキリほっとしたくらい。これって、断捨離をしていたおかげ。気持ちのレベルが上がっているんだなと実感。以前だったら、こんなに気持ちが軽いわけでなく、失った「モノ」というより失った「こと」を悔やんで心重くなったことだろう。

モノってあってもいいけど、なくてもいい。そう思えて本当にうれしい。断捨離を出会えて、実践して、本当によかった。

この心の自由さが、やましたさんのいう「ごきげん」なんだと思う。それと、自分軸ってことも。

以前だったら、古いデータをなくしたとかの失敗にへこんでいたのは、夫のしかられるのが怖いというかいやだったのだと思うけど、他の人に何を言われても行動、選択の結果は潔く自分で引き受けるのであって、他人にとやかくは言われたくない、と居直ることができるように思う。

そう、モノを捨てて、その不便さがあったり後悔しても、自分がそれがいいと思ったのだったらその結果も自分で引き受け、他人から何か言われるのではという、まだない「未来」の不安は持たないでいられた。

これって今までにない感覚だと思う。今まで、何かにおびえていたのかもしれない。

パソコン、そしてこわれたハードディスク、これらと断捨離的に(意識的に)向き合ったら、私の思考にあらたな回路ができてきたみたい。

だから断捨離はおもしろい!