70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

抵抗勢力 定年後の夫問題

二男が置いていった本を、古本屋に持っていった。

紙やPCのディスク類を処分したので、あまったケースなどは職場の友達に譲った。
じゃんけんをするほど好評で貰ってくれたのでよかった。

これらの処分は夫には事後承諾。いつもいつも断捨離には夫は抵抗勢力だから。無用な衝突を避けることにした。

古いギターの処分を相談したら、「ハードオフに持っていったら?」という。それなら、自分で持っていってほしいと思い「埃を掃っておくから、持っていってくださいね」と優しく言った。(あまりやさしい口調じゃなかったかもしれない)二男が誰かからもらって、見てもいない古いギターなのに、捨てるというと勿体ながる。値段がつくかもしれないというなら、自分で足を運んでもらいたい。

私が何か捨てようとすると夫はすぐに、喧嘩腰になる。私のほうも事前に構えてしまって堅い物言いになっているのかもしれない。今まで、私がいらなくなった収納ケースを捨てようとすると、いつでも欲しがって、ため込んでしまう。使わないと私に文句を言われると思うのか、それにどうでもいいようなもの(私が思うだけかも)を詰め込んでいる。見るたびに、私の気持ちは、重くなる。断捨離したのではなく、家の中で移動しただけだから。

お土産にもらって玄関においてあった「石」もいつの間にか書類ケースの引き出しにしまいこまれていた。私は捨てたつもりだったのに。そうして取っておくことに意味があるのだろうか?

ため込んでおく習性は、男の人にはありがちだろうけど、人並み以上だと思う。夫のため込んでいることについては、文句を言わないようにしているが、私のものを捨てるのにも、いつまでも文句を言う。鏡台を捨ててからは、そのあと姿見を買おうとしたら猛然と怒る。鏡台がなくなって、埃がたまる場所がなくなり掃除がしやすくなったという利点には目を向けず、捨てた後その代わりに何かを買うことに、異常なほどに反対する。

損をしたくない、という考えなんだろう。無駄使いだと思うのだろう。私の判断を信用していない、つまり私を信用していないということにもなるのだろう。だから、私はそれに反発してしまうのかもしれない。

手に入れたものを抱え込んで、それに意味を感じている。
環境が気持ちいいとか、すっきりしている、美しいとかに重きを置いていない。
埃まみれでも、モノに囲まれているほうが気持ちが安らぐのは、私がそうさせているのかもしれない。

用がなくなったら捨ててしまう、つまり自分も捨てられるのではという不安からそういう行動に出るのかもしれない。「定年後の夫問題」の根は深い

本当にそうなのだろうか?きれい好きなはずなのに。

お父さんは台所はきれいにするのに、どうして部屋はこんなに汚いのだろう、娘の感想だ。