カウンセリング
著者は臨床心理士です。
彼が学んだカウンセリングは、優しい傾聴ではありません。
深層心理学といって
人の心には無意識があって、そういう自分ではない自分によって人生が左右されて難しくなってしまう
だから
心の深いところに、自分ではどうにも制御しにくい何かがある。
だからそういう自分の深いところとしっかり向き合うためにセラピーが行われる。そこに傷があればそれに触れる。そこに目をそらしたい欲望があれば、それをよく見てみる。・・・自分のことを深く理解して、変わっていくことを目指すのがセラピーだ
対話をして相手が変わっていく深層心理学に魅了された筆者は、
カウンセリングを職業にしたいのですが、
それでは家族を養うだけの報酬を得ることが難しいという日本の現状があります。
(診療報酬が低く、収益が上げられない)
ケアとセラピーの違い
沖縄の精神科クリニックに併設されたデイケアに就職します。
カウンセリングを主にできると言う条件だったからです。
スタッフはほとんどがケアを業務とする中で、
カウンセリング8割、ケア2割、その他雑務という条件で報酬も良かったのです。
(実際はケアとか雑務が多くなるのですが)
ケアとセラピーの違いははっきりしています。
ケアの基本は痛みを取り除いたり、やわらげたりすることだと思うのだけど、セラピーでは傷付きや困難に向き合うことが価値を持つ。
痛みと向き合う。しっかり悩み、しっかり落ち込む。そういう一見ネガティブに見える体験が、人の心の成長や成熟につながるからだ。野球が上手くなるためには、苦しい練習が必要なのと似ている。
だから筆者は「事件」がおきるのはきらいではないのですが、
デイケアの日常は淡々と何もなく続いていくことが望まれます。
ただ、そこに居るだけが望まれるのです。
「ゴクツブシのシロアリ」感に慣れなくて、
何かをしているフリの何ヶ月かは私にも共感できます。
なにかやっていると思わなくて過ごすのは、難しいです。
成長していないと責められるような気持ちは、
現代多くの方が持つ感情で、
それが特に若者の心を苦しめているような気がします。
事件の2つの側面
精神科のデイケアのお話ですが、私にも取り入れたい考え方があります。
事件・トラブル・困難を恐れないことです。
事件は日常を破戒する。それまでの自己を破壊する。秩序は撹乱され、リスクが満ちあふれる。だけど、同時に、事件は新しい自己を作り出す。その破壊は創造へとつながる。
壁だと思ったことも、自分にとって壁を乗り越えて今まで以上の力を出せるトピックスくらいに考えることができます。
「困った、どうしよう!」と思ったとき、
「あ、事件が起きてくれて成長の機会だわ」
と思えたら、生きるのがどんなにか楽になりそうです。
と同時に、成長がないような穏やかな日常も
そこで満足して悪いわけでもないと思えます。
精神科のデイケアとは
厚生労働省による定義は
精神障害者の社会生活機能の回復を目的として個々の患者に応じたプログラムに従っ
てグループごとに治療するもの
施設によって社会復帰や就労までを目指すリハビリ型施設もありますが、
筆者の働いていたのは「心穏やかに日を過ごす」ことが目的の「居場所型デイケア」
デイケアのブラックな面も
デイケアにはブラックな部分もあります。
そこがスタッフの大量離職と大量採用の原因であり、
筆者の離職もそれが原因ではないかと思わされます。
それは個別の施設の問題ではなく、デイケアの本質的なところだと書いてあります。
精神科病院にとって、
デイケアが「外来におけるドル箱として病院経営に寄与してきた」
(古屋龍太「精神科デイケアはどこに向かうのか」『精神医療』第89号)
これは精神科クリニックでも同じような構造だと思われます。
「ただ、いる、だけ」に毎日一人あたり1万円近い社会保障財源が投入されており」(本書執筆当時)それがスタッフの高い報酬の原資なのです。
デイケアのメンバーは「いる」ことで、収入になるのです。
「い続ける」ことが必要で、そのための声かけ・食事・レクレーションがあり、
何もしなくてもいい、という安心安全の保証もあるという現実です。
筆者はデイケアに「いた」時間を振り返ります。
心を閉ざし、平気な顔をして、「ただ、いる、だけ」。あの永遠のように長く感じられたデイケアの凪の時間
メンバーをデイケアに囲い込み、自由を制限し、
外に出ないようにしているという現実があります。
その時間がスタッフの心を傷つけていくのに、
スタッフに対するケアがないのも問題です。
ケアされる人(と経営施設)には税金をつぎ込むけど、
ケアする人をケアする仕組みがない。
ケアはお金だけでなく社会的認知とか心の問題です。
今の福祉行政一般に言える大きな問題と言えます。
沖縄で得たこと
頭でっかちだった臨床心理士が、
沖縄に就職し(野に放たれた)ことで得たことは
「生きる」ことの多様性と、「生きる」ことを支える営みの多様性、普通に「生きる」ことの難しさ、そしてそれでも人は生きていくこと
当たり前のことのようですが、そのことを沖縄で深く知ったのです。
知識で知っていることと、体験して知ることの深さの違いでしょう。
「生きる」ことを支えるために、デイケアは必要なのです。
そこで過ごした4年間は筆者にとって心が傷ついた時期でもあって、
やっと本にまとめられたと書いてあります。
筆者はクリニック離職後、大学の教員、クリニック開設とともに
心理学関係の執筆活動をしています。
私は関連して他の著書も読んでみました。
心理学が少し身近になりました。