70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

『京都に女王と呼ばれた作家がいた』花房観音著 努力の人だったかわいらしい人

山村美紗の夫

サブタイトルが「山村美紗とふたりの夫」とあります。

ひとりは西村京太郎でもう一人は戸籍上の夫山村巍(たかし)さん。

二人の男性に支えられて、美沙は小説家になり、小説を書き続けました。

筆者は小説家ですが、夫へのインタビューをはじめ取材を重ねて書いています。

大手出版社には美沙の夫問題はタブーのようで、

出版は地方の小さな出版社でようやく叶いました。

美沙の死後20年間口を閉ざしていた夫の

本当の気持ちはどうだったかにせまっています。

 

美沙は努力の人だった

山村美紗は子どもの頃から小柄で病弱だったようです。

ぜんそく持ちで、65歳で帝国ホテルで執筆中に死にます。

それまでも一日20時間も書くような生活を続けています。

多作の裏にはそんな努力の日々があったのです。

虫垂炎を20年くらい手術せずに散らして、

最後には大ごとにしてしまいます。

そんな彼女を生活面で支えていたのが夫なのです。

 

流行作家としては別の顔を作っていました。

表面上の社交の場でのパートナーは西村京太郎。

二人でタッグを組んで編集者や出版社をもてなし、

話題作りをしてブームを盛り上げていったのです。

 

彼女は努力なしには成功できないことを知っていました。

娘の紅葉さんが回想しています。

「女性が何かの分野で社会的に成功すると言う事は、男性が成功するより3倍大変なことなのよ」と紅葉は幼い頃から母に言われていた。

女を利用したのではなく、女だからこそ

人並み以上の策を弄することが必要だったのです。

松本清張と西村京太郎はミステリー作家になるために必要でした。

夫は病弱な自分が野心を達成するためのパートナーでした。

 

封建的な環境の中美沙は家事と育児をしながら作家を目指すことがどれだけ大変かと言うのを身に染みていたのだろう。ご近所の目もあった。特に京都は昔ながらの人たちが住んでいる土地で価値観も古い。子ども置いて家を留守にするのはとんでもないことであった。

だから、家庭臭を一切出さない、「作家山村美紗」を作り上げたのだと思います。


巍は美沙と暮らし始めてから、美沙が小説を書いている時だけは喘息の発作が起きにくいことに気づいた。医学的な根拠があるわけではないが、小説を書くのは、美沙が生きるために必要なことなのだ。ならば世間が美沙を非難しても、自分だけは味方でなければならない。数々の求婚者達の中から自分を選んで結婚してくれた美沙だ。

美紗の夫は影の人として支え続けました。

数学教師を定年まで勤め上げ、娘二人を育てました。

お葬式の日に喪主席には巍さんが座って、

皆さんを驚かせたそうです。

親族席に西村京太郎さんも並んでいたそうです。

どちらも美沙を支えた人なのです。

二人に心から支えられて、美沙さんは幸せだったと思います。

それだけ可愛く、魅力的だったから愛されたのでしょう。

 

流行作家になった女文士

傲慢だったり高飛車な態度をとることもあった美沙は、

よく不安を口走ったそうです。

どうして、皆の前では傲慢に見えるほどに振る舞うくせに、こんなにも自信がなくて不安なのか。攻撃的になり、相手を怒鳴りつけては、後悔することを繰り返す。

美砂自身もわかっている。

賞が欲しい。

1番欲しいのは、直木賞だ。

直木賞さえ手に入れれば楽になれるの

 

この部分を読んで『女文士』林真理子著を思い出しました。

この本のヒロイン眞杉静枝さんも、

本を出したい、賞が欲しいと切望します。

違いは才能と努力と男運。

美沙は京大名誉教授の父から物理や数学好きの頭脳を受け継いでいます。

トリックを考えるのが大好き。

株でもうけてから中学教師を辞め、小説を書いて応募し続けます。

かわいらしく明るく、話題も豊富で男の人を飽きさせません。

松本清張も彼女から京の食べ物やら文化のあれこれを引き出したそうです。

夫も西村京太郎も彼女を支えてくれました。

締め切りに終われ、身を削るようにして書いていたけど

書きたいことがあふれてくるようにあったそうです。

なんだか戦い続けて、前のめりにつんのめって倒れてしまったよう。

 

彼女は何と闘っていたのかしら。

才能のある女が生きていく道が、

もっと広くなるようにと闘っていたのかしら。

作品中に出てくるヒロインにその思いは託されているのかもしれない。

そう思うとこれから「京都ミステリーもの」を見る目が違ってきそうです。