婚家から出奔一人で日本へ
林真理子さんの『女文士』読み返していて発見。
彼女の芯にあるのは、諦めない気持ちだってことです。
親の決めた縁談で、愛情を持てない夫との結婚生活。
このままで終わりたくない、
ただの女では終わらないと決意を固めています。
ただの女というのは、夫に従いて熱帯の国に渡り、夫に仕え子どもを育てることしか知らない女、あきらめることしか知らない女たちだ。女たちは台湾に来て3ヶ月もしないうちに、肌が焼け唇がひび割れていく。そして蕃人そっくりになったいくのだ。
自分はそんな女にだけはなるまいと心に決めていた。
ただの女にはならない、という静枝の気持ちが「女文士になる」という野望につながります。
だから女文士であることに執着することにもなったのでしょう。
諦めなかったことで、自由を得ます。
自由であることの幸福感は、生きている喜びだったでしょう。
彼女自身の人生を生きたい、その希望は叶えられるべきです。
静枝は奥歯で落花生を噛みくだく。自分はまだ若く美しく、そして才能があるのだと静枝は自分に言い聞かせながら、かりかりりと噛み続ける。
ただの主婦で終わりたくない
私はまだ子どもたちが小さいころ、
社宅のようなところで密なご近所づきあいをしていました。
皆が同じような暮らしをしていた中で、
「私はただの主婦でおわりたくない」という人がいました。
ネットワークビジネスで下着などの商品を売り始めたのです。
ぼんやりしていた私は、彼女の焦燥感が理解できなかったです。
経済的に自立しようとも思わず、お稽古事なんかしてたんです。
今から振り返っても、そのころどんなことを考えていたのか良くわかりません。
ただ、別のネットワークビジネスのミーティングに誘われたとき、
そのチーフみたいな人が
「来年自分が成長していると自信のある人いますか?」
と問いかけたとき、私は「はい」って答えたことを覚えています。
その理由は
「いつも向上心を持っているから、良くならないはずがない」
そんな感じでした。
その頃から本を読んだり新しいことを始めたりが好きだったからでしょう。
だからといって何者かになったわけではなく、
相変わらずの「ただの主婦」です。
でも、この生き方が間違っていたとも思わないのです。
眞杉静枝さんの生き方で真似したいと思うのは
「諦めないこと」
年齢だからとか理由をつけて諦めない生き方をしようと思います。