夫の宿題
順子さんは遠藤周作の妻です。
周作氏がなくなった後、本を出したり講演活動をしていますが、
夫存命中は文士の妻として遠藤周作を支え尽くす生活だったようです。
「死は終わりではない」
「心あたたかな医療」
「日本人の心に届くキリスト」
の3つの課題を「夫の宿題」と名づけて各種の活動に精力的に取り組まれました。
誰と暮らしたいか
この本を書いた時、順子さんは77歳。
九年間東京で一人暮らしをしていたのですが、
次のステージは軽井沢での一人暮らしを選びます。
別荘があって夏は過ごしていたようなのですが、
終の住処とする覚悟です。
厳寒の四ヶ月は東京で一人暮らしの妹さんと避寒生活の予定。
東京の息子夫婦とは同居しない、
フランス生活が長かった妹さんは個人主義になれているから
つかず離れずに生活できそうだと踏んでいます。
一人の生活は
「すべてから解放された」と表現しています。
一番大事な人が天国に行くのを見とどけたということは、
大変な開放感があるものです。
苦しい闘病生活を共に闘った心労はいかばかりだったでしょう。
今は夫が天国にいる、その天国は良いところらしい。
自分も死んだら天国で夫と再会できる。
それまで、夫に恥じない生活をしようという考えなのです。
彼女には夫からの「宿題」「課題」「使命」があります。
世間体や義理から解放されて、しなければならないことだけに集中する生活を選んだら、結局一人暮らしが一番と言うことになりました。
しなければならないことは、人のために役立つことです。
自分だけが着飾っているひとには、
それで満足ですか?と問いかけます。
ドライブ
外面が良くユーモアで人を笑わせている周作氏は、
家族には厳しくわがままを言っていたのです。
あまりに理不尽だと思ったとき、
順子さんは「お買い物に行きます」と車で出かけます。
そして歌舞伎の台詞や長唄の一節を唸りながら多摩郊外の自然に身を置くのです。
それで帰ったときには機嫌良くいられたとか。
そして70歳過ぎて軽井沢で一人暮らしをするにあたっても、
見たい芝居があれば2時間もあれば車で東京に来ることが出来る、
とあっけらかんと仰る。
闘病生活の長かった周作氏を乗せて、
別荘へも病院への通い続けていたのでしょう。
高齢男性の免許証への執着が問題になっていますが、
高齢女性も免許証取り上げないで欲しい。
70歳を過ぎて
世間体、義理から自由になります。
親も夫も亡くなって、叱る人はいないのです。
「おつりの人生」目一杯楽しもうというのですが、
そこはお嬢様として清く正しく生きてきた順子さん、
人の役に立つこと、学ぶことを薦めています。
それも自分で探すところが順子さんの逞しいところ。
軽井沢に行くのもそこで自分が必要とされているからではなく、
そこに行けばきっとわたしがなすべきことがあるはずと。
年金をいただいて、それでおいしいものを食べているだけではいけないです。
何かお役に立ちたい、「いい人生だった」といって死にたい。
それを自分のために求めることが出来るのが、
70歳を過ぎてからの楽しい生き方ではないのでしょうか。
家庭内の女性の役割、家族観についての考え方には違和感も感じましたが、
筋の通った清く正しい生き方をした女性です。