70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

『わたしの宇野千代』瀬戸内寂聴 著 おしゃれで自由を求め続けた作家二人は裏表の存在でした

宇野千代さんを偲んで

98歳でなくなった作家の宇野千代さんを偲んで、

ことし99歳でなくなった瀬戸内寂聴さんが書いた文章が集められています。

宇野千代さんにとても可愛がれ、頼りにもされていたのです。

だから、同じエピソードが少し表現を変えて何度も出てきました。

それくらい寂聴さんにとって衝撃的だったのでしょう。

 

・過去の男性を「寝た」「寝ない」でふりわける

水子地蔵が自分の思っていたのと違う出来だった

・米寿のお祝いで大振り袖を誂え、お色直しは3回

・寂聴さんの出家を嘆き還俗を訴えた

・いつも小説の話をしたがり、真剣だった

・若い人や外国の現代作家の作品にも目を配り続けた

 

寂聴さんにとって宇野千代さんはまさしく「先達」だったと思うのです。

宇野先生の年譜を自分なりに作って、この年に宇野先生はどうだっただろうかと思うことで何度も気持ちを奮い立たせるのです。

 

         私でもたまには気が落ち込んだり、元気がなくなったりする時があります。そういうときに宇野先生の年譜を見ますと、「ああ、まだ私はチンピラだな。まだまだ生きなきゃ。」・・・「まだこれから先、これだけの仕事ができる。これはもっと生きなきゃいけない。まだわたしでも、なにか出てくるかもしれない。」
     


寂聴さんも高齢で怪我や病気をなさいましたが、そのたびに不死鳥のようによみがえりました。

それはこんな強かった「先達」がいらしたからです。

わたしもそんな風にお二人の年譜で自分に活を入れたいです。

 

宇野千代さんは 三階建のビルの三階を住まいにしていて、

その階段を毎日上り下りし、部屋の中をぐるぐる一万歩歩いていたんですって。
     

二人の共通点

宇野千代さんと寂聴さんはどちらも多作で私も何冊も読んでいます。

それ以外にこの本で良くわかったお二人の共通点

・夫を捨てて他の男の人に走った、だけど後悔していない

・尽くすのではなく、自分が嬉しいからやるだけ   
 
 お二人の会話を読むと、お互いに考え方や感じ方が似ていて
 「あなたと私は裏表」と宇野千代さんがもらしています。 

 

恋にまっしぐらになり、男性を深く愛してしまうふたりだから

世間からは非難を受けます。

それは深く心を傷つけたこともあったようで、

年を経るにつれてそういうことからも解放されて自由になったのでしょう。

 求めたのは、人を好きになってしまうこと、その気持ちに素直になることの自由です。

その「自由を求める姿」が女性の心を引きつけるのだと思います。

 

豪華なサロン

若い頃の宇野さんのサロンのメンバーが紹介されていました。     
 
小林秀雄 (1902)

三好達治 (1900)

河上徹太郎(1902) 

亀井勝一郎 (1907)

吉田健一 (1912)

河盛好蔵     (1902) 

井伏鱒二 (1898)

三島由紀夫 (1925)

 

宇野千代さんが1897年生まれなので、みなさん同世代といえます。
わたしは名前だけ知っているけど、業績はよく知らない人がいるので、Wikipediaでしらべてみました。    
 
こんな人たちに囲まれて、文学や芸術論議を交わしていたというサロン。

(でも彼らのWikipediaでは宇野千代との交友は触れられていません) 
 
今の日本にもこんなふうなサロンがあるのかしら?
そのサロンの女主人役はだれ?

宇野千代さんは、サロンの女神だったのかも。