70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

コロナ禍の移動

身内に不幸があり帰省しています。

姉の夫、義兄で大変人柄がよくお世話になった方です。

私の住む東京も故郷の愛知県も緊急事態宣言発令中です。 

コロナのためお通夜なし、葬儀は30分でということです。

それも集まる人数は10人くらい、飲食も控えてと以前とは全く違う形。

 

参加しようか迷ったのですが、思い切って出かけてきました。

もう2年以上故郷には帰っていません。

兄弟たちとも今あっておかないと、もう会えなくなるかもしれません。

来年のことなんて、誰もわかりません。

コロナだからと怖がってばかりいて、したいことを全部我慢していても悔いが残ります。

 

感染対策

義兄は1月から入院していましたが、やはりコロナのためお見舞いにも行けませんでした。

姉さえ一週間に一度5分間だけ、タブレットによるリモート面会。

失語症の義兄とのコミュニケーションは難しく、思い出の写真を見せたりの工夫をしていました。

傍でリハビリの手伝いをしたい、なにか食べさせてあげたいという希望も叶えられません。

なにもかも以前とは違う闘病生活だったのです。

 

コロナ禍は生活のあらゆるところに影響し、義兄の死もコロナ関連死と言いたいくらいです。

葬儀に参加する私も、実家には泊まらずホテルに宿をとりました。 

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ホテルは駅すぐで窓からは線路が見えます。窓に打ちつける雨です。

 

ステイホームから脱出

身内の不幸という異常事態ではありましたが、久し振りに親族と会い直接お喋りができるという

以前の日常を取り戻すことができました。

何気ないお喋り、だれかれの消息を尋ねあったり昔の思い出話をしたり、

故人を偲ぶ貴重な時間でした。

 

死者を弔うということは、人は全て縁によって生きているのだと感じる場です。

遺された人には、喪失感を癒す場にもなると思います。

思い切って参列して本当に良かったです。

コロナでも死者を弔うことは必要です。

 

 

ステイホームで閉塞感に包まれた一年半でしたが、

ひとりで移動してのホテル滞在は、私の心の栄養剤にもなりました。

 

こころおきなく旅ができる日を待ち望みながら、

いまは慎重な感染対策の日々を続けたいです。

 

窮屈は嫌

実は礼服も持って行ったのですが、

さすがに30年数年前の洋服は窮屈でした。

子供の小学校の入学式に購入した礼服だったのです。

自作のリネンの黒ワンピースが大活躍。

 

もう窮屈なことは嫌ですね。

 

故郷の味を買って帰ります。

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五平餅とあんかけスパのソース。

 

次に故郷に帰れるのは、

兄弟に会えるのはいつになるのかしら?

コロナの終息を強く願う旅でした。