70歳過ぎて自在に生きる ほいみんの日記

断捨離から、ヨガ・インド哲学・音訳へと関心が移っています。

思うようにならない 私の舌先三寸 コントロール不能

瞑想の呼吸法

ヨガをしている時も呼吸法をしているときも、

ふと気がつくと舌が上顎にくっついています。

私の舌はコントロール不能です。

ヨガセンターでは、最後の瞑想(シャバアサナ)の時、

舌は力を抜いて下顎に納めましょう、とガイダンスされます。

そうすると舌の奥が盛り上がって、喉をふさぎ苦しくなります。

いつも舌の置き場所が気になって、うまく脱力が出来ません。

 

舌を傷つける

録音図書を読み始めてからも、舌のコントロールに悩まされます。

口を大きく開いて滑舌良く話そうとすると、舌を噛んでしまうのです。

一時は舌がんになったかと疑うほど、口の中が痛くなりました。

録音をする緊張感で、舌に異様に力が入りすぎたのでしょうか。

歯が欠けてギザギザになり、それが舌を傷つけているのかと疑いました。

歯医者さんでは異常なしと言われ、本当に安心しました。

ただただ、口の中がコントロールできていないのです。

 

口先のコントロール

物理的に口の中のコントロールが出来ていないだけでなく、

こころのコントロールが出来ていないことが、

表象として舌の怪我としてでているのでは。

言葉を大切にしないこと、

思ってもいない調子のいい言葉を使っている、

実行していない実行できないことを口先だけで言っている、

そんな私のいたらない部分を私に自覚させるための計らいのような気がします。

 

(仏の)計らい?

口先だけのきれいごと、

それを続けていると、口の中の異常は治らない気がします。

 

不幸とか災難があったときも、それが自分を振り返る契機になる、

という考え方を仏教の勉強とか法話で繰り返し聞いています。

数週間にわたった口中の痛みは、

痛みさえなかったらどんなにいいだろう!とこころから思うことが出来、

無駄にいい加減なことをべらべらしゃべることをやめようと思わせてくれました。

 

痛みがなくなるとこんな気づきもすぐ忘れてしまいます。

繰り返し繰り返し何かの計らいでもって、自分をいさめていくのでしょう。

そんなふうに思えるようになったのも、自分の進歩だと気づきました。

 

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地味な布も組み合わせたらいい感じ

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黙々と小物製作中